負けました。
アニメを見て勝った・負けたなんてないんですが、今回ばかりは悔しいほど負けました。

「惡の華」の話です。
アニメ「惡の華」公式サイト
ぼくは熱狂的な原作ファンです。押見修造の絵が動くと、それはそれはとても楽しみにしていたのです。
ところが箱を開けてみたら、30分口が開いたまま閉じられないような奇作になっているじゃないですか。
最初見た時、あまりのことに混乱してiPhoneを枕にたたきつけたのですが、その瞬間気づきました。
こんなに動揺している時点で、スタッフの策略にはめられたんだと。

負けました。

ちょっとストーリーは置いておいて、まず映像の話からします。
「惡の華」はロトスコープと呼ばれる技術で作られているアニメです。
一度実写で映像を撮り、それをセル画やコンピューター処理でトレスしていく手法です。
ディズニーアニメや、アニメ版『指輪物語』、『坂道のアポロン』の演奏シーンなどで使われています。これ自体はそんなに珍しい手法ではないです。

これを使うと非常に生々しい動きが可能になります。まあ、実写を絵にしてるのですから当然なんですが、これがとんでもなく労力がかかる。一度演技を撮影して、さらにそこから絵を起こすわけですし。しかもアニメーターのイマジネーションや個性はそこに反映されづらい。
となると、ロトスコープを使う場合問われるのは「ロトスコープにする意義」です。

「惡の華」は、今までなかった「全編ロトスコープ」という手法で作られました。

キャラデザインとかは当然一切なし。顔もデフォルメなしの、実写トレスです。
ただのトレスではなく、日本のアニメーション制作と同じ枚数にあわせている手間もかけています。
マンガのストーリーを丁寧になぞっていますが、マンガの絵柄要素は1ミリもありません。
実写からとっているのに実写じゃない。アニメで作っているのにアニメじゃない。

放送後、ネット中が騒然となりました。
「これはすごい、画期的アニメだ!」
「これなんでドラマでやらなかったんだ?」
「ちゃんと原作絵でやれ!」
「ありじゃないか。いい実験だ」
「誰得だよ」等々。
「惡の華」第一話 アニメ関係者ツイートまとめ - Togetter
原作ファンから、何も知らない視聴者まで。話題の輪はどんどん広がり、その話題を見て視聴しはじめる人も増えました。

「惡の華」の原作は、鬱屈した中学生の精神状態の物語。

そこで出会うエキセントリックな少女仲村さん、現実につなぎとめようとする佐伯さんの間で、主人公春日くんの心はぐしゃぐしゃに丸裸にされ、救いの見つからない方向に破滅を求めていく話です。
一言でまとめると気持ち悪い話なんです。
気持ち悪い生活。気持ち悪い居心地。気持ち悪い環境。気持悪い人間関係。
気持ち悪い世界。
その「気持ち悪い」をマンガは見事に描き、今は高校生編に突入しています。

アニメ版はこの「気持ち悪い」を、生理的な部分から引っ張り込みました。
最初は自分も「なんでこれを実写でやらないのか?」と不思議でしたが、気持ち悪さを表現するために選んだのがロトスコープなんでしょう。
実際、猛烈に気持ち悪いです。褒め言葉ですよ。
人間ってこんなに気持ち悪かったっけ、って感じるくらい視点がフラフラする感覚。目を背けたくなる感覚。
街中が自分を閉じ込めるようなイヤな気分。
時折目に入る女子の肉的エロティシズム。
友人のテンションのイライラ感。
そうそう、友人のデブが、いいやつなんだけどほんと中学生ガキしていて見ていてイライラしてね! 
演じているのはお笑いコンビ「やさしい雨」の松崎克俊。あの中学生的動きっぷりはお見事。

問題になってくるのがヒロイン二人。
優等生の佐伯さんはロトスコープでも強烈な美人になっているので、欲情できます。萌えじゃなくて欲情。
しかし、メインヒロインにあたる仲村さんが、もっさりした顔であまりかわいくない。
原作では、確かにエキセントリックなキャラですが非常にかわいかったので、これには驚きました。
むしろあえてかわいくないように描いているみたいに見える。

ここが最大の違和感として、ネットで話題になっています。
確かにぼく自身も、仲村さんは嫌われ者だけど燦然と輝く存在じゃなければいけない、という観念にとらわれていてオロオロしたんですが、みんなに嫌われる子を、第三者から見たらどうなるか。
むしろ、第一話でもっさりした印象と眼力しか見せていないこのロトスコープの仲村さんが、躍動感あふれる激しいキャラになったらどうだろう。
それは、すごく見たい。

「押見 本当、衝撃的な仕上がりですから。「僕もこう描けばよかった」とか悔しくなる場面がたくさんあります。春日と仲村が教室で暴れる回とかすごいですよ。マンガよりすごくて、僕は見るたびに泣いちゃいます。」
「長濱 たとえばBlu-rayとかDVDが出たとき「あの気持ち悪いやつか」って見返したら面白かったとか、本屋さんで原作の単行本を見つけて「なんだアニメとぜんぜん違うじゃん」って手に取ってくれたりとか、そういう引っかかりを見た人に持ってもらえたら、僕らとしては成功だと思っていて。
押見 監督がおっしゃっていた、傷痕を残すとはまさにこのことですよね。
長濱 一瞬でもいいから「ん?」ってなってほしいんですよ。その「ん?」のために作ってる。」
コミックナタリー - [Power Push] アニメ「惡の華」原作者・押見修造と監督・長濱博史が対談
 
このアニメは「気持ち悪い」。
それは動きが生々しいという気持ち悪さかもしれないし、少年少女の汚い部分が見えてしまう気持ち悪さかもしれない。
原作の絵と違いすぎるという気持ち悪さかもしれないし、閉塞感あふれる街の描写の気持ち悪さかもしれない。
音楽も全体的に圧迫感がある。耳鳴りがしているようで気持ち悪い。EDの機械音も不気味。
その「気持ち悪さ」を見て、もう二度と見ないという人もいれば、魅了される人もいると思います。
もちろんアニメとマンガは別作品ですから、アニメーションとして何をやりたいのかが重要になってきます。
たった30分のアニメ一本で、これだけの人の感情を揺さぶり、2ちゃんやTwitterをはじめ、あらゆる場所で話題になっている事自体が、すごいことです。

一話はこの「気持ち悪さ」になじませるため、ストーリーはほとんど進んでいません。
徹底して閉塞感と、佐伯さんのかわいさ、仲村さんの怖さ、春日の鬱屈だけで終わっています。
物語が進み、仲村がエキセントリックに動き、佐伯さんと春日が付き合うようになったら、今度はロトスコープがリアルであるがゆえに、アニメ的なデフォルメでごまかせなくなります。逆に実写ない分、魅せるところだけを強調もできます。
とりあえず一話で、この作品は毒を振りまきまくりました。
でもロトスコープのびっくりは、一回限り。
ここから先、果たして「全編ロトスコープアニメ」は、毎週視聴者の心に傷をつけ続けられるのか。
今はまだ結論は出せません。じっくり見守りたいところです。

にしても、あのロトスコープで描かれたブルマのシーン。
エロかったなあ……。
あのブルマ……盗みたい。


BD『惡の華 1』
押見修造 『惡の華 1』

(たまごまご)