3つの原発事故調 最終報告:解明された謎と課題

  • 11 年前
 世界最悪レベルの放射能汚染を引き起こし、今なお多くの人々に避難生活を強いている福島第一原発事故。事故後、政府と国会そして民間による3つの原発事故調査が始まったが、7月23日の政府原発事故調の最終報告をもって、全ての調査報告が出そろった。3つの事故調の代表がひとつのテーブルを囲み、明らかになった原発事故の真相や、残された課題について徹底議論する。
 2012年7月23日、政府事故調査・検討委員会が最終報告を発表。政府・国会・民間の調査報告が出揃った。想定外の津波がすべての元凶だったという東電の主張に対し、危機管理能力が脆弱と。今回の事故は人災と断じる。
 司会:森本健成 ゲスト:政府事故調委員長・畑村洋太郎。国会事故調査委員長・黒川清。民間事故調委員長・北澤宏一。政府事故調委員・柳田邦男。
 政府事故調最終報告。すべての号機で重大事故への備えが不足していたとする。3つの原子炉でいつメルトダウンが起きたのか。1号機、午後8時以降。その前に事態の悪化を食い止める手立てはあったと。作業員たちはICが作動していると誤信。現場の役割責任が明確でない。
 3号機、原子炉冷却は続いていた。津波を免れたバッテリーでHPCI(冷却装置)が動いていた。ところが現場の作業員は装置が壊れることを恐れ手動で止めた。何を優先するのかという判断力が備わっていなかった。
 2号機、もっとも時間に余裕があった。全電源喪失後、RCICが動き続けていたが、3日後に止まる。問題は、装置が止まるまで3日間もあったのに、次の対策がとれなかったこと。3つの原子炉のうち、もっとも膨大の量の放射性物質が放出された。危機対応能力の脆弱性。
 政府・畑村氏「いま一番感じているのは、長かったなあと。全電源喪失はありえないという前提で動いていたから起こった。十分な準備がしてあれば、十分に対応できたのではないか」
 政府・柳田氏「ひとつひとつの起こり方、メルトダウンに至る経過は違うが、根底は共通している。全電源喪失を前提にした対策をとっていなかった。その背景には、技術過信から事故は起こらないという意識があった」
 国会・黒川氏「日本は地震大国。当事者は皆知っていた。実際に規制もそうだし東電も、やることはわかっていても引き延ばしていた。傍証もしたが、東電も書類やビデオを見ると、津波というのは簡単だがその前にも事故は起こっていた。あくまでも地震への備え、謙虚さがない」
 民間・北澤氏「大量の放射能を原子炉の中においておくということは、国家の存在そのものを危うくするということ。使用済み核燃料のほうがはるかに放射能が多い。そのまま原子炉の中に蓄えられていた。建屋が水素爆発で飛ぶと、大気にむき出しになった。これが大きな問題」
 畑村氏「使った後のことをどうするか。放射能をたくさん持っているのを関係者は知っているが、多くの人は知らない。水が一番の遮蔽物だが、むき出しになったら冷やせない。そういう恐ろしい状況になることを、皆が共有していないのが大きな問題。
 国会事故調。避難した1万人にアンケート調査。事故発生を知っていた住民は20%。70%は4回以上の避難を行った。1日あまりで避難区域を次々に変更。「ただ西へ逃げろというだけで、具体的な指示はなかった」入院患者ら、自力での移動が困難な人達。40人の死亡者。受け入れ先の病院も決まらない中、230km以上の移動を強いられた。車内で3人が死亡。翌日早朝までに11人が死亡。3月までに少なくとも60人が死亡。日本では、避難範囲が10kmを超えることは想定されていなかった。原子力災害への備えの欠如がある。事故直後だけでなくその後も住民に負担。避難指示の出ていない地域の中には、高線量にもかかわらず住民が長期間放置された場所も。3月23日の時点で積算線量が高いことを認識していたのに。長期間の避難は想定されていなかった。判断する線量レベルが決まっていなかった。政府がこの地域を避難区域にしたのは4月22日。事故から1カ月以上後のこと。「1歳6カ月くらいの子供を、高線量のなか外で平気で遊ばせていた」避難を住民の判断に委ねた。政府・原災本部は国家の責務を放棄した。
 黒川氏「避難している人達の町に行き、タウンミーティングを公開でやった。Webで見られる。悩みが実に多彩。2万人にアンケート。1万人を超える方が答えてくださった。裏にも書いてくれた。貴重な資料。これからの将来が見えない、と。政府も最初から想定してない。避難の演習も想定されていない。距離にもよるが、どういうソースで知ったかも分析。ほとんどが通じてない。自治体から聞いたのが30〜40%。具体的に何を指示されているのかわからない。着の身着のままで帰れない状態になっている人もいた」
 柳田氏「原発事故とは何かという根本的な捉え方。政府事故調で、その捉え方を述べている。原子炉とか関連の重要な施設は、万全を期しているとして作っている。原発の安全はそれだけではない。一旦事があった時、事故が拡大するのを防ぐために電源車や重機など支援がいる。もっと重要なのは、住民をどう守るか、環境をどう守るか。この3つのランクがそれぞれ万全の備えをしていないといけない。中枢部分を完璧にやっていれば、地域安全はそうでもなくていいというのが暴露された。被害者から見れば様々な問題にどう対応してもらえるか」
 柳田氏「事業者・行政から見れば、そんなに心配しなくていいですよ、万全だ万全だと言ってきた。だから今回、こんなに長期間の避難と思ってもみなかった。本当の安全とは何か、なぜこんな事態になったのかが、この図から見える」
 畑村氏「ひとつのことを一方からだけ見ることが危ないということを、これは言っている。こういう視点を入れて考えなければいけない」
 3つの事故調は、規制機関と電力会社の安全対策が不十分だった原因について切り込む。規制や調査を先送りにしてきた事実。80年代末、津波堆積物調査があったのに、検討を先送り。米同時多発テロ後、原発での過酷事故の対策を活かそうとしなかった。23回の先送り。2006年、避難対策の先送り。IAEA基準の避難対策。住民は今回、避難で大きな混乱に陥った。IAEAが示した避難対策を基に、日本でも新たな対策が原子力安全委員会で検討されていたが、原子力安全・保安院が横槍を入れてきた。「国民の不安を増大すると」
 広瀬保安院長(当時)「なぜまたあえてそのような議論をして、国民を不安に陥れるのか。寝た子を起こすな」安全委員会、保安院を説得しようとせず、避難の国際基準の導入は先送りされた。
 1993年、電源対策の先送り。20年前、原子力安全委員会では、全電源喪失時の対策を規制に盛り込むことが話し合われた。東電・関電幹部が出席し「反映は行き過ぎ」と反対意見。安全委員会「今後も30分でいい理由を作文してください」と依頼。規制しなくていい理由を。
 柳田氏「並行して、住民の被害の全容を解明することが大事。災害関連死。平穏に過ごせた村から避難したから亡くなった人が数百人。津波で亡くなった人を含めて、福島県内で761人亡くなった。761の個性をもった悲劇が同時に起こった。さまざまな分野を総動員し解明を」

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