法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

吉見義明教授の「質問」と、橋下徹市長の「逃亡」と

吉見義明教授の公開質問状が、下記ページでPDFファイルとして一般公開されていた。
アジア女性資料センター - 【橋下発言】吉見義明教授が公開質問状

 吉見教授は6月4日の記者会見で、橋下氏の「ほかの国も『慰安婦』を利用していた」という発言について、「軍の施設として組織的に慰安所を作った国はほかになく、日本の『慰安婦』制度は特殊だ」と指摘。また、橋下氏が昨年8月の記者会見で「吉見さんも強制連行の事実まではなかったと言っている」と述べたことについて、研究者としての名誉を傷つけるものであると抗議し、「居住の自由、外出の自由、廃業の自由、拒否する自由がなかった日本軍『慰安婦』は、性奴隷制である」と指摘しました。

吉見教授の質問状はこちら(PDF)
吉見教授の添付資料(慰安所制度の創設・運用に関する資料)はこちら(PDF)

ひとつ指摘すると、ここで吉見教授が名誉を傷つけられたとしている要点は、昨年の記者会見における「捏造」*1だ。吉見教授は、ただ自説が無根拠に否定されたから質問したわけではない。主張していないことを主張したことにされたことと、その根拠を問われて橋下市長が雑誌『WiLL』記事からの伝聞と答えたことに対し、あらためて問いただしているのだ。
実際に質問状を読んでも、まず1頁目で最初に昨年記者会見についての質問があり、さらに6頁目で『WiLL』記事と比較しなおしている。それ以外の質問は、あくまで「関連して重要と考えます」という位置づけだ。さらに先月末に外国特派員向け会見で捏造者あつかいされた件すらも*2、本文最後の7頁目で「これも私の名誉を著しく毀損」と評しつつ、慎重に「制止しませんでしたが、この発言を肯定するのですか」とたずねている。
もちろん、質問状の要点でない部分も意味がないわけではない。慰安所制度の実態や、当時の国内外の法制度、2007年の閣議決定*3、等々について理解を助ける内容となっているので、橋下市長でなくても一読して損はない。
なお、添付資料は各資料から抜粋引用した文書。質問状の各質問を裏づける短い文章が多数ならんでいる。


この質問状に対する橋下市長の反応だが、6月5日のぶらさがり会見で行われていたという。その要約がTogetterにまとめられていた。
6月5日昼 橋下徹大阪市長のぶら下がり会見 - Togetter
橋下市長自身がいっているのとは別の意味で、議論がかみあっていない。吉見教授から重点的に指摘された、歴史事実の争いですらない橋下市長の見解について、まったく回答していないのだ。2007年の閣議決定についても言及がない。この会見だけを見た人は、吉見教授が慰安所制度の事実関係のみ質問したと錯覚するのではないだろうか。
正直にいうと、本当にまとめられているような発言を橋下市長がおこなったのか疑ったくらいだ。この質疑は大阪市役所のサイトで公開された部分に存在しなかったし*4日本維新の会YOUTUBEチャンネルでも現在までに映像が公開されていない*5
しかし聞き取り要旨をツイートしていた「IWJ」が会見の映像を公開しており、実際に会見で発言されたことだと確認できた。もちろん全体の書き起こしではなかったが、比較的に正確な要約でツイートされている。
「慰安婦問題は、政治判断してはいけない。歴史的事実をはっきりさせないといけない」 ~橋下徹大阪市長定例会見 | IWJ Independent Web Journal
まず、下記ツイートで要約されている発言は、1時間17分前後に確認できる。

これまで独自に主張してきたことについて、ほとんど全て責任を他人へ丸投げしてしまった。歴史学者に論争させて結果が出てから評価しようとは、5月13日当初の「誰だってわかる」という主張から大きく後退したものだ。1人の歴史学者しか示さないところも、6月1日に「多くの歴史学者*6とツイートした時から後退している。
5月24日に元慰安婦が橋下市長との会見をとりやめたことに対して「敵前逃亡」などと主張した人々がいた。元慰安婦は先に橋下市長に言及された側であり、会う権利こそあれど会う義務はないというのにである。逃亡と評価したいなら、誰にも求められず能動的に言及しながら、批判に対して発言責任を転嫁しつづける橋下市長にこそ当てはまるだろう*7


下記ツイート一連で要約されている発言も、1時間32分以降から確認できる。

桜内議員について、維新の会としての見解なのかを問われて、はっきりと否定。自分の釈明会見に補佐として同席させ、冒頭で説明させながら制止しなかったのに、ここでも責任は全て桜内議員へ負わせた。絵に描いたようなトカゲのシッポ切りだ。
しかも責任転嫁だけでは不十分だと思ったのか、吉見教授の著作を精読していないと明言した。しかし先述したように、質問状の要点は昨年に吉見教授の主張をねじまげたことにある。つまり、『WiLL』のような信頼性の低い雑誌から孫引きし、本人から訂正が求められても撤回や謝罪をしなかったことについて、やはり著作を精読していなかったと、ここで橋下市長は語るに落ちた。


こうして橋下市長は質問状で何が問われたかを6月5日の会見で説明しないことで、記者からの追求をかわそうとした。
しかし会見映像を見ると、いずれ質問状が一般公開されるだろうと橋下市長は予想している。その場しのぎができればいいという考えで会見したのか、質問状の内容を理解できなかったのか、あるいはその両方なのだろう。
ただ少なくとも、質問状で指摘されている従軍慰安婦問題の枠組みを、橋下市長が否定できていないことはたしかだ。ここで朝日新聞記者がいい質問をしている。

吉見教授は質問状2頁目の「5」と「6」において、慰安所の現場を日本軍が主導的に運営していたことを指摘していた。業者に依頼したり既存の売春婦を利用した募集段階よりも、ずっと関与は直接的に深い。このことは文書資料においても裏づけられ、歴史学において事実関係の争いはない*8
だからこそ朝日新聞記者は橋下市長が管理ではなく募集にこだわっていることを確認したのだろうし、おそらく橋下市長は募集段階に争いがあるという先入観から争点になっていない現場管理は完全に業者がおこなっていたと思いこんでしまっているのだろう。