毒ガスとウサギの島

  by 小川裕夫  Tags :  

 

メルマガ「今週の小川裕夫」から抜粋

 

広島県竹原市。瀬戸内海に浮かぶ大久野島は、島内に野生のウサギが300羽生息しているといわれる“ウサギの島”として知られる。一方で、太平洋戦争時は毒ガス兵器を製造する日本軍の拠点だった。

 

ジュネーブ条約において、化学兵器の使用は制限されている。化学兵器とは細菌兵器や毒ガス兵器をさし、日本軍は、いつ本土決戦があってもいいように毒ガス兵器の開発を進めていた。

 

ジュネーブ条約では、毒ガス兵器の使用を禁止しているが、開発や保有まで禁止していなかった。そこを抜け目として日本軍は毒ガスの製造に着手した。だが、開発・保有していれば、当然ながらそれは使うためのものである。

 

だから、日本軍は毒ガス兵器を開発していることが敵国に漏れないようにするため、大久野島という離島に工場を建てた。

 

ところが、昭和17年には、アメリカから「日本は毒ガス兵器の使用を中止するように」との通告を受ける。一度は無視するものの、昭和18年に再び通告を受けた。2度目の通告によって、日本軍の毒ガス兵器開発は滞った。

 

それでも、終戦まで大久野島では毒ガス兵器の開発が進められた。なかには、鼠駆除のための殺虫剤を開発することもあった。日本軍はこれを平和利用のための化学兵器開発と形容している。

 

大久野島では、化学兵器のみならず風船爆弾の開発も進められた。風船爆弾は神奈川県の登戸研究所などでも開発されていた。風船爆弾は千葉県の上総一宮駅、茨城県の大津港駅、福島県勿来駅付近に設置された砲台から発射されている。

 

風船爆弾などという風任せの兵器では具体的に標的を狙うことはできなかった。そんな風船爆弾を秘密兵器として開発していたのだから、万策が尽き敗色濃厚だったことを感じさせる。しかも、600発近く撃たれた風船爆弾で、唯一得た人的戦果がピクニックに来ていた親子6人だけだったというから、始末が悪い。

 

毒ガス兵器製造にあたって、臭気漏れで工員たちに被害が出ないように日本軍は大久野島にウサギをもちこんだ。ウサギはガスに敏感に反応する。ガス漏れ事故防止のための策だ。

 

そのウサギが野生化して現在に至っていると語られるが、実際は近くの小学校が放った7羽のウサギが野生化して繁殖しただけのことらしい。とはいえ、体調不良を訴える工員は多数いて、死亡者もいいたというから、毒ガス兵器をつくる側も大変なことだっただろう。

 

それでも、日本軍が毒ガス工場での働き手を募集すると、またたくまに定員を超える人数が集まったという。寒村に突然できた国営工場だから、雇用対策には大きく貢献したのだろう。

 

危険や悪であることは承知でも、家族などを食べさせていくために働く。このあたり、原発との関係に似ている。

 

ウサギと毒ガス兵器に直接的な関連はない。それでも大久野島に生息する、結びつけて語られるところは、日本軍がいかに情報を隠蔽し、そしてそれが戦後になって尾ひれがついて語り草になっていたのかが窺える。

 

総務省・都道府県市町村・都市計画・地方自治・鉄道などの取材が得意分野。地方に取材に行くフットワークの軽さもウリです 著書 『政治家になっちゃった人たち』 『路面電車で広がる鉄の世界』 『踏切天国』 『封印された鉄道史』 など

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