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庭について:その71(1,796字)
岡山城の周囲は、もともとあった川をねじ曲げてお堀としたため、たびたび氾濫に見舞われていた。それを、別の川を放水路として設けることで緩和し、おかげで湿地帯だったところが使える土地になった。それで、藩主は喜んでそこに庭を作った。そういう物語を持っている。ときは1687年である。江戸開闢からすでに90年近くが経過して、戦はもはや過去のこととなった。攻めてくる敵はいない。一方、経済や文化芸術の発展はだいじだ。そこで、安全になった城の外に、経済発展と文化芸術の促進を兼ね備えた庭を作ることが大名の間で流行った。いわゆる大名庭園である。その大名庭園の中でも、代表的なのが兼六園、後楽園、偕楽園なのだ。この3つの庭園は、建設当時から評価が高かった。後楽園も、文句なくできがよかった。それで、自然と守ろうとする気運が高まり、現代にも受け継がれている。大名庭園の最大の魅力は「権威」だと以前に書いた。権威は -
1994:その9(1,551字)
宇多田ヒカルは1983年生まれなので、1994年には11歳だった。人間にとってさまざまなものを吸収するとてもいい時期だ。それを1994年で過ごし、ミュージシャンとして大成したのだから、この年にも何か魔力があったのだろう。パッと思いつくのは、日本は音楽業界が空前のバブルを迎えていたので、その活況を肌身で感じたということだ。井上雄彦の11歳が、ちょうど『ドカベン』が一番盛り上がっていた時期だったようなものだ。一方、1994年にルーズソックスをはいていた1977年生まれは、11歳を1988年で過ごしている。1988年はどういう年か?バブルのちょうど真ん中ともいえるし、昭和の最終年ともいえる。1988は、毎日昭和天皇の芳しくない容態がニュースの速報で流れていた。そうしてプロ野球のビール掛けが中止になるなど「自粛」という言葉が流行語にもなった。バブルで浮かれる一方、表面的には自粛している -
[Q&A]大谷選手と水原通訳のアメリカでの受け入れられ方は?(1,802字)
[質問]大谷選手と元通訳の賭博事件で、アメリカにおける大谷選手の見られ方というのはどうなるでしょうか? 岩崎さんのご意見をお聞かせください。[回答]正直、あまり気にしていないと思います。アメリカは、日本とは違って犯罪には甘く、逆にポリコレにはうるさいお国柄です。これが人種差別とかだったら大変なスキャンダルですが、ギャンブルの場合はむしろポリコレ的な観点から中毒者を擁護、あるいは保護する立場に回ります。従って、水原通訳もむしろギャンブル依存症の被害者と見られ、保護されこそすれ、非難されることはありません。ただし、これが横領となると話は別です。アメリカでもけっして小さくない犯罪である上に、かなり軽蔑もされるので、誰の同情も得られません。しかしこれもギャンブル依存症が原因だとすると、情状酌量の余地はあると見なされるでしょう。大谷選手には、逆にこれで成績に対する厳しい目がつきまとうと思い
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