朝日新聞記者の不正アクセス容疑について

http://www.asahi.com/national/update/0625/TKY201306250088.html

報道機関関係者が、遠隔操作事件の「真犯人」のメールアドレスにログインしていた件で、書類送検されたと報道されていますが、その中に朝日新聞の関係者がいて、朝日新聞が上記の通り弁解しています。

当該メールアカウントを使用した犯行声明メールは昨年10月9日、報道機関や弁護士に送信されました。その中に当該メールアカウントの識別符号(パスワード、以下:当該識別符号)が記載されていました。
この犯行声明メールは「【遠隔操作事件】私が真犯人です」と題し、「このメールを警察に持っていって照会してもらえば、私が本物の犯人であることの証明になるはずです」「ある程度のタイミングで誰かにこの告白を送って、捕まった人たちを助けるつもりでした」「これを明るみにしてくれそうな人なら誰でも良かった」などと記したうえで、同メールの送信者が関与したという遠隔操作ウイルスを使った事件の内容を記しています。
以上のことから、当該メールアカウントの利用権者(「真犯人」を名乗る犯行声明メールの送信者)が、犯行声明メールの送付先の弁護士や報道機関を通じて同メールの内容が公表されることを望んでいたのは明白です。
さらに、犯行声明メールの中で当該識別符号を公表し、それが使われて当該メールアカウントにアクセスされ、自分が真犯人であることが証明されることによって、遠隔操作事件で警察から犯人と誤認された人たちの容疑が晴れることを明確に求めていました。

私のところへも送られてきた、昨年10月9日付けのメールを読み直してみましたが、そこでは、

このメールを警察に持っていって照会してもらえば、私が本物の犯人であることの証明になるはずです。

とあるものの、そこから、他の記載を含めて見ても、上記の弁解にあるように、

さらに、犯行声明メールの中で当該識別符号を公表し、それが使われて当該メールアカウントにアクセスされ、自分が真犯人であることが証明されることによって、遠隔操作事件で警察から犯人と誤認された人たちの容疑が晴れることを明確に求めていました。

と読み取ることは、常識的に考えて無理でしょうね。
そもそも、不正アクセス禁止法では、「真犯人」は、単なる「利用権者」に過ぎず、「アクセス管理者」である、本件ではヤフー株式会社から許諾を受けて利用している立場に過ぎません。確かに、その利用権者から承諾を受けたアクセス行為は不正アクセスに該当しませんが、その承諾は、「黙示」でも可能とは考えられるものの、あくまでメールでの記載から読み取る承諾ですから、社会通念、常識に照らし、承諾していると認められるようなものでなければならないでしょう。朝日新聞の弁解は、社会通念、常識に照らした読み方とはかけ離れていて、通用するとは考えられないものがあります。
仮に、「承諾があったと信じていた」という弁解が排斥できない場合、不正アクセスの故意があると言えるか、いわゆる「錯誤」が問題になります。これについては、事実の錯誤は故意を阻却するが法律の錯誤は故意を阻却しない、というのが、判例、通説です。この点について、上記の弁解を見るとどちらになるか微妙ですが、元々の事実認識(と称するもの、後付けででっちあげた弁解である可能性もあります)が、かなり荒唐無稽なものなので、事実の錯誤というには無理があり、そもそも、単なる故意の無理な否認、虚偽の弁解、と捜査機関に捉えられて、故意が推認される可能性はかなりあると思います。ただ、朝日新聞としても、最後の逃げ場は故意で、そこで逃げ切ろうと考えているのか、弁解の中で、

このように、利用権者は、当該識別符号を使って当該メールアカウントにアクセスすることを誰に対しても広く承諾していたことが明らかです。当社記者もそう認識しており、「不正アクセスの故意」は全くありませんでした。

と強調していますから、おそらく今後も、故意がなかったと強弁し続けての逃げ切りを図っている可能性が高いと思われます。
なお、刑罰すら科せられる違法な行為である以上、いくら取材目的とはいえ、「正当業務行為」に該当しないことは、取材目的で犯人の家に忍び込むような行為が正当業務行為にならないことを考えれば、明白だと思います。上記の朝日新聞の論法では、取材目的であれば、様々な場所に忍び込んで資料を盗み見したりする行為は、必要性がそれなりにあれば、皆、正当業務行為になってしまいますが、日本が法治国家であるということを、一体、どう考えているのでしょうか。西山記者事件を、ここで引き合いに出していますが、西山記者が、取材先の家に忍び込んだりして情報を得ていれば、あれほどの議論が起きることなく違法性は認定されていたはずで、本質的に異なるものをいかにも同質かのように提示して正当化を図る(「取材目的」というところだけを捉えて)、典型的な詭弁(下手な)を、こういうところで持ち出す見識のなさにもあきれます。
不正アクセス行為は、インターネット社会においては、他人の家に侵入することと同様の、違法性が決して低くない行為で、朝日新聞の弁解は、「家の扉があいていたから中に入ってよいと思った」と言っているのと変わらず、下手な弁解であると同時に、日本有数の全国紙として、極めて恥ずかしいレベルにあると言えるでしょう。こういう弁解を正当化する意見書を書く弁護士の見識も疑われると思います。
捜査当局は、厳正に捜査し、関係者がこの弁解を今後も続けるのであれば、起訴してその刑事責任をきちんと追及することも視野に入れるべきで、安易に起訴猶予といった処分で終わらせるべきではないと思います。

2013年06月24日のツイート

新型「MacBook Air」(13インチ)レビュー--バッテリ持続時間など大幅改善

http://japan.cnet.com/news/commentary/35033743/

13インチMacBook Airは、Appleの主張によると最大で12時間稼働できるという。そしてわれわれのテストでは、さらに良い結果が得られたのだ。

またAppleによると、MacBook Airに搭載されているSSDストレージも高速化が図られているという。

2012年モデルと2013年モデルの実行速度を比較してみたところ、大きな差は見られなかった。前年モデルと比べた際、アプリのパフォーマンスが実質的に改善されているわけではなく、ある種のテストでは新しいMacBook Airの方がほんのわずか遅い場合もあった。

バッテリ持続時間がAppleIntel双方の努力によって(若干Intel側の努力が勝っている)、驚くほどの伸びを見せた結果、MacBookのまったく新たな時代が幕を開けたと感じさせてくれる。バッテリで14時間の連続動画再生が可能であるということは、実生活の場で過酷な使い方をして、その動作時間が3分の1以上減ったとしても、バッテリ切れの心配をせずに1日中使用できるはずだ。

私が、新MacBookAir(13インチ、Corei7、8Gメモリ、SSD256G)を使うようになって1週間ちょっと経ちましたが、満足度はかなり高いですね。今まで使ってきたのが11インチモデルで、13インチは画面が見やすく感じるのは当然として、やはり、上記の記事でも指摘されているように、バッテリーの持続時間がかなり伸びていることが明らかで、まだ、出先で充電しないまま連続して午前から午後、夕方にかけて使う、という使い方をしていないのですが、旧モデルでは、補助バッテリーがなければ無理であった、そういう使い方も、新MBAであれば可能ではないかと思っています(近く、そういう機会を見つけて試してみるつもりです)。MBAで使える補助バッテリーは限定されているのが現状で、持ち歩くのはかさばり、またスマートでもないので、これだけバッテリー持続時間が長くなったことは大きなメリットでしょう。
使っていて感じる挙動の速さは、1つ前のMBAより、私は、やや速くなったという印象を受けています。これは、SSDの改善によるものでしょうか。ただ、それほど大きく変わる感じではないので、バッテリーについて特に不満がない人は、無理に新MBAを購入せず、1つ前のモデルをそのまま使い続る選択肢もあると思います。
購入するにあたっては、自宅でがっつり使おうと考えて13インチにしたのですが、バッテリーがよく持続し、持ってみると、持ち歩いてもそれほどかさばる感じでもないので、持ち運び用のケースも後から購入しました。今後、状況に応じて、既に使っていた11インチMBAと使い分けるつもりです。

PC遠隔操作事件が捜査終了 「ウイルス作成罪」立件断念は警察の「敗北」か?

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130624-00000502-bengocom-soci

”真犯人からの犯行メール”を受け取るなど、この事件と強い因縁を持つ落合洋司弁護士に、これまでの捜査への印象を聞いた。

検察、警察当局としては、すでに他の罪で起訴、追起訴を重ねていますから、あえて無理に立件すべきだとは考えなかったのではないかと推測されます。
業務妨害など他の犯罪と比べて、ウイルス作成罪は立証構造が違う。つまり、有罪とするために証明しなければいけない点が全く異なるという点を、考慮する必要があるでしょう

ちょっと捕捉しますと、既に起訴されている事件(その真犯人が被告人かどうかはわかりませんが)での捜査機関の依拠する証拠は(これもまだ明確ではないのですが)、被害が生じた、ということを前提にしますから(これで犯行の日時は特定できます)、犯行場所、犯行の手段(使用PC等)は特定できなくても、実務上、訴因の特定で要求される「他の犯罪と識別できる程度の特定」は何とか満たすことができます。しかし、ウイルス作成罪については、上記の記事で指摘しているような事情(自白が得られていない)もあり、発見、分析されているウイルス自体から作成日時が特定できるということでもないようですから、犯行日時という、他の犯罪と識別する上での重要な要素が特定できない、ということになってしまいます。あくまで、プログラム、データの作成ですから、リアルにウイルスが「これ、この1つ」と対象が一義的に明確になる、というものでも、おそらく、なくて、犯行日時が特定できないままでは、立証が相当困難で暗礁に乗り上げるような状態になりかねないでしょう(立証以前に、そもそも訴因として不特定ではないか、が問題になる可能性もあります)。立証構造が違う、というのは、そういうことを指して述べているものです。

日本KFC/カーネル・サンダースの白いスーツを落札

http://ryutsuu.biz/topix/f062409.html

カーネル・サンダースは生前、3回来日しており、その都度、「日本が大好き」と語っていた。その理由は、カーネルが1939年に完成させた「オリジナルチキン」の調理法と味をもっとも忠実に守り続けているからというものだった。
KFCの店頭にカーネル立像を常設することは日本が始めたもので、お客からは長年、親しみをもって「カーネルおじさん」と呼ばれている。
落札したスーツは、出品者のマイク・モリス氏が、親しくしていたカーネルから、10代の頃にハロウィンパーティのために借り、その後譲り受けたもので、カーネル・サンダースが82歳(1972年)のときにオーダーメイドでつくられたものとされている。

カーネル・サンダースについては、本ブログでも、以前、

カーネルさん、若返る試み 米KFC
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20050507#1115441980
カーネル人形発見」の広告効果、27億円超
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20090312#1236852310

とコメントしたことがありますが、フライドチキンの出来に非常に厳しく不出来な商品を持っていた杖で払ってその場に落としたこともある、という厳しさと、

http://japan.kfc.co.jp/tale/index.html

にあるように、

「成功は多くの人と分かち合いたい」と、ビジネスを共にする人たちの状況に心を砕き、惜しみなく知識・技術を教え続けました。一方では、少しでも余裕ができると慈善活動を行い、孤児院の子供たちのために毎日アイスクリームをつくったり、肢体不自由児のための基金をつくったりしました。

という心優しさを兼ね備えた、その人格、人間性には、強い魅力を感じます。
生前のカーネル・サンダースが高く評価していた日本のケンタッキー・フライドチキンによって、あの有名な白いスーツが入手され、今後、長く日本の人々に見られ愛され続けることを、おそらく、天上のカーネル・サンダースは、あの笑顔で喜んでいることでしょう。

取り調べDVD:映像提供問題 識者の話

http://mainichi.jp/select/news/20130624ddm004040033000c.html

◇検察に便利な禁止規定−−検察官出身の落合洋司弁護士(東京弁護士会
今回のケースは誰の権利も侵害せず、審理の公正も害していない。形式的な法令違反はあったのかもしれないが、国民に取り調べの状況や可視化の重要性を知らせるという公益上の必要性は大きい。
現行の目的外使用禁止規定がある限り、弁護士が事件の問題点を世に問いたいと考えても、報道機関など第三者に証拠を見せることができない。一方で検察は、捜査や公判立証への批判を封じるため、この規定を嫌がらせや圧力として便利に使うことができる。法廷で調べられた証拠は社会の共有財産という側面もある。プライバシーへの配慮は必要だが、現行の規制は過剰であり、正当な目的による提供は許容するよう法改正すべきだ。
NHKが放送を取りやめたら、DVDを提供した弁護士、提供を了承した元被告の意思を無にすることになる。NHKは悪法と闘う勇気を持たねばならないと思う。

これについては、先日、

<NHK>取り調べ映像の「クローズアップ現代」放送延期
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20130609#1370773308

とコメントし、毎日新聞の取材に対しても同様に答えたものでした。
日本の場合、裁判を「秘め事」のように捉える傾向が今なお強く、証拠についても、特に刑事裁判では、検察庁が握ってなかなか開示せず、法廷で取調べられた証拠ですら、現状では、上記のような過剰なしばりの下に置かれています。そういった、現行のグローバルなレベルからは落ちこぼれてしまっているところは、指摘されて「シャラップ!」などと激怒し失笑をかうのではなく、率直に認めて改善すべきは改善するよう努める必要があるでしょう。もちろん、裁判制度には、その国、社会に根差した、ドメスティックであってやむをえない面もありますが、正義、公平の観念や人権尊重の必要性には、グローバルに共通するものがあるはずで、そういった基本的なところで、諸外国から疑問を持たれるような点は、やはり、どこかおかしい、という意識を持ちつつ見る必要があると思います。

北区中学工事汚職、贈・収賄側とも異例の不起訴

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130624-OYT1T01670.htm?from=ylist

捜査機関が逮捕に踏み切った汚職事件で、贈賄側、収賄側共に不起訴となるのは極めて異例。特捜部は「逮捕するだけの疑いはあったが、起訴に足りる証拠はなかった」として詳細な理由は明かさなかった。捜査を担当した警視庁幹部は「不起訴については地検が判断したことなので、コメントする立場にない」と話している。

関係者によると、2人は任意の捜査段階で容疑を認め、特に専務が「工事現場の事務所で現金を渡した」と具体的に供述したことから、警視庁は逮捕に踏み切った。しかし、逮捕後の取り調べに主事は否認。捜索などによって現金の流れを調べたが、現金が主事に渡ったことを示す客観的な証拠を得ることができなかったとみられる。

収賄事件では、特に収賄側は公務員で、逮捕しましたが起訴できませんでした、では到底許されない、という確固とした考えの下で捜査機関は動くものです(もちろん、贈賄側を軽く見ているというわけではありません)。贈収賄罪は、必要的共犯(対向犯)として、双方の犯罪事実が合理的な疑いを入れない程度に認定される必要があり、通常は、贈賄側の自白が主要な証拠となって強制捜査に入ることが多く、かつ、警察が警察だけの判断で身柄を取る、ということはなく、検察庁との緊密な協議の上で、逮捕の時点で、それまでの内偵による捜査結果も踏まえ、「起訴できる」という見通しの下で逮捕まで踏み切るものです。それだけに、上記のような不起訴は、異例中の異例で、逮捕時の判断は一体どうなっていたのかと、捜査機関内部では相当問題になっている(あるいは今後大きく問題になる)ことは確実でしょう。
報道を見る限り、贈賄側の供述が十分検証されないまま、中途半端な状態で身柄まで取ってしまった、と言われても仕方がない(おそらくその辺が真相)のではないかと思います。それだけ、任意性、信用性のある自白を獲得する捜査力、取調べ能力が落ちている、ということでもあると思います。
従来の、力任せでの自白獲得に頼るような捜査手法では、知能犯で、今後もこのような事態が続出し、贈収賄事件のような難易度の高い事件がなかなか立たなくなってくる可能性が高く、捜査手法の大幅な見直しが迫られているという認識を、捜査機関自体が持つべきでしょう(と言っても無理だとは思いますが)。