これからの住まい・暮らし
107
小野 有理
2015年1月8日 (木)

築90年余り の洋館取り壊しから考える、家を大切にすると言うこと

築90年余りの洋館取り壊しから考える、家を大切にすると言うこと(画像提供:株式会社リビタ)
画像提供:株式会社リビタ

キンと晴れ上がった12月17日、冬空の日。田園調布の開発時から街の変遷を見守ってきた鈴木邸(登録有形文化財)の取り壊しを前にして最後の見学会が催された。渋沢栄一が興した田園都市株式会社(後の東京急行電鉄・東急不動産)によって1923年(大正12年)に関東で初めて分譲された住宅街、田園調布。メインストリートに面した、築90年余りという鈴木邸。800m2を超える大きな敷地には小振りな洋館が建ち、四季を感じる公園のような庭が魅力だ。由緒ある邸宅の取り壊しに残念だと言う声もある。だが、親族としてできうる限りの愛情を表現したという見学会。筆者もこのプロジェクトに参加してきた。

田園調布のシンボルとして親しまれた住宅

複雑な形状の赤屋根とクリーム色の外観は、田園調布の旧駅舎となんだか似て感じた。銀杏並木をまとうゆとりある街によく合っている。建築は全くの門外漢だが、田園調布の開発から携わり、駅舎の設計も手がけた建築家、矢部金太郎の作かもしれないと思いを馳せた。当初はドイツ人が住んでいたが、鈴木氏の父が戦地の息子の無事を祈って購入。願掛けの甲斐もあり無事帰国した鈴木氏が、そこで家族を育んだ。

駅舎となんらかつながりを感じるように、この家は田園調布を表すシンボルのようだ。田園調布の歴史を語るサイトには「往時を残す住宅」と写真と一緒に言及され、Googleで「田園調布 洋館」と画像検索するとトップに現れる。また、数多くのテレビドラマやポスターの撮影地となり、そのドラマに出演したファンが訪れるようにもなっていた。田園調布で育った筆者の友人などは「あの家があることが街の誇りでもあった」と言う。

過ぎ行く90年間を「味わい」に変えた家族。そして、家は原風景になる

今回、この見学会を主催したのは鈴木氏の孫、村上萌さんと株式会社リビタだ。生まれたころから幾度となく訪れた「ばあばの家」は、実際に住んでいなくても自然と「ただいま」と言いながら玄関を開ける、「家族そのもの」を体現した家だったのだろう。「美味しいものが届いた」と言っては親族が集まり、誕生日会が毎月開かれ、この家にいつもみんなが集まった。従姉妹の結婚式や家の主だった祖父の告別式、大切な時、辛い時もこの家はずっと家族を見守ってきた。

鈴木氏の家族みんながそうであるように、村上さんにとってもこの家は特別な場所だ。広い庭で自然に親しみながら秘密基地やプールをつくり、従兄弟たち皆で育った。現在、ライフスタイルプロデューサーとして「ガルテン」という会社を経営する村上さん。会社名のガルテンはドイツ語で「garten(庭)」を指す。命名するとき、人は創りたい未来やアイデンティティ、自分の根源に立ち戻る。村上さんにとって、暮らしの愉しみ方を創る彼女の会社の原風景は、「ばあばの家」とその庭なのだ。

見学会には多くの人が集まった。90年もの歳月を経て、未だに多くの人を集められるのは歴史の重みもさることながら、その重みが味わいに変わるよう丁寧に家の手入れをしてきた鈴木家の努力が垣間見える。どの部屋に入っても、放っておかれたような場所が無い。床板一枚、階段一段、窓枠の一つ一つに鑞(ロウ)が塗られ、手入れされている。壁は何層にも塗られたのだろうか、深い白が魅力だ。子どもが何人も飛び跳ねても、それを受け止めつつ、都度、思いを込めて修理してきたのだろう。

取り壊しが決まり、次の物語が始まる。家の建具を取り外し他の場へ移設

「祖父亡き後も一人で家を守った祖母は、モノや形に囚われない人でした。自分がいなくなることを考え、家族のトラブルを招かないよう財産はおろか家具に至るまで徹底して処分し、残すものには引継先を決めていた。この家や土地の行く末も決めていたんです。その意思は尊重したかった」。とはいえ、最初に村上さんの口をついて出たのは「守ることができなくて」という言葉でもあった。

「大好きな家が壊される前に、この家の思い出を何か残すことができないか」とリノベーション事業を手がけるリビタに相談。そこから、家族の物語がつまった扉や窓、真鍮の取手を取り外し、別の家族の物語につなぐ「家糸(いえいと)project」が生まれた。「『家糸』という言葉はなんだか『家系図』の『家系』に似ています。この家から取り外された扉や窓枠が、他の家族の中に入り新しい歴史になる。そうやって記憶がつながるなら、こんなにうれしいことは無い。ここから始まる家糸図も、家系図と同じように家族の記憶を辿ることができるものにしたい」と話す村上さん。

家の顔となった応接間の暖炉や門灯などは叔父の家に移設される。村上さんは、祖母のキッチンを使って小さなサンドイッチ店を開くことにした。残った建具や窓枠などは、お別れ会の翌日、リビタのメンバーが丁寧に取り外した。「モノやストーリーを継承することは丁寧な暮らしに重なる」という信念を持つリビタ。外した扉や窓枠は、今後、リビタが手がける物件に活かされる。購入した主には「鈴木邸の記憶」も一緒に引き継いでもらうのだという。

【画像1】 まるで公園のような庭を抜ける。色とりどりの葉が揺れる木々も、家と一緒に街と家族を見守ってきたのだろう(画像提供:株式会社リビタ)

【画像1】 まるで公園のような庭を抜ける。色とりどりの葉が揺れる木々も、家と一緒に街と家族を見守ってきたのだろう(画像提供:株式会社リビタ)

【画像2】見学会のトークが行われたリビング。一列に並ぶたくさんの窓は細やかに細工され、飴色の木枠も映える。窓の向こうの大きな庭ではしゃぐ家族を映してきた(画像提供:株式会社リビタ)

【画像2】見学会のトークが行われたリビング。一列に並ぶたくさんの窓は細やかに細工され、飴色の木枠も映える。窓の向こうの大きな庭ではしゃぐ家族を映してきた(画像提供:株式会社リビタ)

【画像3】2階へ続く階段。重厚さもさることながら、家族が上り下りしてすり減った階段も、手入れが行き届いて、良い味わいに変わっている(画像提供:株式会社リビタ)

【画像3】2階へ続く階段。重厚さもさることながら、家族が上り下りしてすり減った階段も、手入れが行き届いて、良い味わいに変わっている(画像提供:株式会社リビタ)

家を大切にするとはどういうことか。

この家は、家族の中心だった。夫婦二人で始まった歴史が、時を経て子どもに恵まれ、その子らが結婚して孫に囲まれるようになった。家族はどんどん大きくなり広がったが、この家はいつも「ただいま」と「おかえり」で家族をつないだ。今回の「家糸」ではないが、まさしく家が、家族の中心「糸巻き」のような役割を果たしていたのだろう。そして今、家はなくなるけれど、家族みんなが日々触れてきたインテリアが受け継がれる。新しい糸が紡がれていく。

歴史の証人とも言える住宅がなくなるのを「惜しい」「もったいない」と言う人もいる。私もそう思う。村上さんも「守ることができかった」と口にした。本心は「守りたかった」のだろう。しかし、相続税は高く、登録有形文化財に登録されていても大きなメリットは無い。都内で800m2を超える敷地をそのまま買える人もいない。家を守るために家族が奮闘しトラブルが生まれるなら本末転倒だと、亡くなる前に家の行く末を決めておいた「ばあば」だからこそ、この家は彼女の慈しみによってむしろ長持ちしたのだ。

法律の改善を唱えることも大事だし、そう動くことも大切だ。しかし、村上さんとリビタが手がける「家糸プロジェクト」は、そんな中でもできる精一杯の家への愛情であり、感謝の気持ちの表れだ。そして、今回の家糸を取材して、私が最も伝えたいのが、こうした「家への想い」をいかにしたら皆が持つことができるのか、という問いだ。今後、家族の形は変わるだろうが、「大切な人」と一緒に住む場に対する姿勢を強く意識した日だった。

【画像4】外した建具を庭に並べ、丁寧にホコリを払う(画像提供:株式会社リビタ)

【画像4】外した建具を庭に並べ、丁寧にホコリを払う(画像提供:株式会社リビタ)

前の記事 都市と地方、あなたの住みたい理想の場所とは
次の記事 スタッフと利用者がメロメロに。介護現場でのロボットの活躍
SUUMOで住まいを探してみよう