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80年代のポスト・パンク勢と共振するカニエ・ウェストの戦い

連載
久保憲司のロック千夜一夜
公開
2013/07/10   21:00
更新
2013/07/10   21:00
テキスト
文/久保憲司


ロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ〈現場の人〉久保憲司氏が、ロック名盤を自身の体験と共に振り返るコラム。今回は、カニエ・ウェストのニュー・アルバム『Yeezus』について。80年代のニューウェイヴと共振する音のみならず、本作からは当時のポスト・パンク的な思想と戦いの意志が感じられて――。



カニエ・ウェストの新作『Yeezus』がヤバいです。80年代のニューウェイヴ世代を完全にくすぐる、実験的で過激なエレクトロニック・ミュージック。シカゴ・ドリルとか新しい音もたくさん入っているんでしょうが、僕が感じたのはインダストリアルなポスト・パンクとでも言うべき、エレクトロニックな音とグルーヴ。

80年代の音が、高級ハイファイのクォリティーで復活しているところに48歳のオッサンは〈これだよ、これ〉と興奮しているわけですが、ヒップホップ・ファンはやりすぎだよと引いている感じがして心配です。

僕の感激は、もちろん妄想ですよね。80年代には誰一人として、こんな綺麗な音で録れていなかったです。8トラとか4トラのオープンリールに、10万円以下で買える安い日本製のシンセで、〈こんな感じか?〉と汗を流しながら四苦八苦していたわけです。

そんな音楽をカニエ・ウェストは2000万円のフェラーリで疾走するかのように作り直してくれているんです。そして、当時は1万枚も売れなかった音楽を、いまのポップ・ミュージックとして機能させてくれている。僕はそういうところが嬉しいのです。

彼が48歳のオッサンだったらわかるんですけど、36歳のオッサンが、なぜそういうことをしているかというと、やっぱりあの当時の音や思想がカッコイイと。カニエ・ウェストはそう考えているんだろうなと思うのです。“New Slaves”のPVをビルの壁に写すという今作のプロモーションもゲリラ的というか、80年代のニューウェイヴ勢がよくやっていた手法なのです。

ヒップホップも、もともとはここなんですよね。マッドクラブなどのニューウェイヴなクラブがマンハッタンで唯一プレイできる場所だったアフリカ・バンバータなど、オリジネイターは白人と共闘を組んで、音楽シーンに進出してきたわけです。ジョン・ライドンとアフリカ・バンバータがいっしょにやっているのは本当に自然な流れだったのです。

このへんの感じは、いまのヒップホップな人たちにわかってもらいたい。ロックとヒップホップはもっと密接な関係にあったということを。そして、カニエ・ウェストの誇大妄想的で被害者意識丸出しのラップとパンク以降のニューウェイヴの思想とは、凄くよく合っているんですよ。

ニューウェイヴ〜ポスト・パンク・ジェネレーションの人たちがどういうことを歌ってきたかというと、ヒッピー世代のユートピアに隠された新しい管理社会とどう戦うかということで。そんなテーマが、カニエ・ウェストのラップとドンピシャで合うんです。

このあたり、カニエは鋭いんですよ。カニエ同様、80年代のニューウェイヴに自分たちの音楽のアイデアを求めているヴァンパイア・ウィークエンドが政治的になっていっているのも、まさにそういうことなのかなと。いまのオキュパイ運動や、日本でも突然巻き起こったレイシズム運動、直接民主主義とも繋がっていくんです。

カニエの戦いがこの後どうなっていくのか気になります。ジェイムズ・ブラウンやプリンスは上で言ったようなことに気付くんですけど、白人社会の中で混乱していくんです。アートの世界でも、ジャン・ミシェル・バスキアのような人は失速していく。だけどカニエには、フェラーリに乗ったような感じで走り抜けてもらいたいなと僕は思うのです。

そういう意味でも、意識的な人はみんなこのアルバムを買って、彼の言葉に耳を傾けるべきでしょう。誇大妄想だと片付ける前に、その奥に潜む真実に気付くべきだ。

ポスト・パンクとはそういう音楽だったし、このアルバムに参加しているたくさんのアーティストたちはそういうことがよくわかっているということ。あなたはわかるか、わからないかどっちだ?ということなのです。