【書評】『作曲は鳥のごとく』吉松隆/春秋社/2625円
【評者】井上章一(国際日本文化研究センター教授)
クラシックの音楽が好きだという人にも、ポップスの音はいやおうなくとどく。今の世に生きて、それをしりぞけきれるわけがない。アカデミックな世界で活躍する演奏家たちも、大なり小なりポピュラーを聴いている。あるいは、作曲家たちも。
吉松は、「運命」交響曲(ベートーベン)の譜面を見て、クラシックにめざめた。音楽が緻密な設計図でくみたてられている様子に、エンジニアめいた感銘をうけている。そこから、作曲の途にすすんでいったという。その後もシベリウスや松村禎三をみちびきの糸としつつ、精進していった。
だが、そのいっぽうで、イギリスのプログレッシブ・ロックにものめりこむ。ピンク・フロイドやイエスに魅せられている。ジャズのビル・エヴァンスやマイルス・デイヴィスにも、ときめいた。のみならず、吉松はそのあじわいを、自分がつくる曲でも、すなおにいかしている。オーケストラの楽曲や室内楽などに。
吉松を有名にした「朱鷺によせる哀歌」は、弦楽のアンサンブルとピアノで構成されている。たいそう美しい、美しすぎる曲であり、私はこれで吉松のファンになった。だが、そこでつかわれた旋法は、ピンク・フロイドの『エコーズ』をヒントにしているという。ピアノも、エヴァンスやキース・ジャレットが下地になっているらしい。今回の自伝でそのことを知り、なるほどと得心がいった。
いっぱんに、現代音楽の作曲家は、こういう音楽をはねつけやすい。興味をもっていても、自分の曲づくりでは、そっぽをむく傾向がある。その点で、ロックの魂に生きる吉松は出色である。
吉松の曲を演奏するイギリスのオケは、ロック的な音作りを面白がるという。プログレっぽいひびきには、いい反応をするらしい。さすがは、本場ということか。だが、そこに鈍感な田部京子の弾く「プレイアデス舞曲集」も、私は気にいっている。「全然ちがうけど、これがいい」という作曲者の言葉にも、にんまりさせられた。
※週刊ポスト2013年7月12日号