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2012年10月12日 (金)

1978年の10月12日、西武ライオンズが誕生。その経緯と豆知識

1978年の10月12日、西武ライオンズが誕生。その経緯と豆知識
Photo: Polka Dot Images / thinkstock

いよいよ明日からクライマックスシリーズで福岡ソフトバンクホークスと対決する埼玉西武ライオンズ。実は本日10月12日は、プロ野球球団の西武ライオンズ(現在の埼玉西武ライオンズ)が誕生した日。1978年のこの日、国土計画の堤義明社長(当時)がクラウンライター・ライオンズを買い取り、本拠地も福岡県から埼玉県所沢市へと移転した。それから34年。今では「ライオンズ=埼玉」のイメージが強いが、福岡にはいまだにオールドファンが多いという。そんな埼玉西武ライオンズについて、今回は豆知識的な情報をいくつかご紹介したい。

まずは球団の歴史からみていこう。埼玉西武ライオンズの公式ウェブサイト内にある球団ヒストリーを見ると、

「2リーグ制が導入された昭和25年(1950年)、西鉄はクリッパースというニックネームでパ・リーグに所属した。そして、昭和25年のシーズン終了後、セ・リーグの西日本を吸収合併し、西鉄ライオンズが誕生した」

とあり、その後、親会社や経営母体、スポンサーが代わったことにより、1973年に太平洋クラブ・ライオンズ、1977年にはクラウンライター・ライオンズと名称を変え、1978年、経営難により本拠地を福岡の平和台から埼玉県所沢市に移し、西武ライオンズが誕生した。

この福岡から埼玉への移転については、“福岡における西鉄ライオンズ以降のプロ野球の歴史”というサイトに詳しい。こちらでは、クラウンライター・ライオンズを経営していた福岡野球株式会社が、西武グループに球団を売却した経緯を述べている。

「福岡野球(株)の経営破綻は1978年の8月には時間の問題となり、倒産の危機は避けられない状態であった。そこで中村オーナーは、最終的に西武グループの総帥・堤義明氏に球団経営の引継ぎを要請することになる。堤氏は球団経営引継ぎの条件として、フランチャイズの移転を提示し、この条件を受け入れれば、現在の福岡野球(株)の債務すべてを肩代わりすることを約束する」

球団経営の悪化は周知の事実だったようだが、突然の移転については、地元福岡のファンにしてみればショックな出来事であっただろうことは想像できる。また福岡からはほど遠い埼玉の人にしても驚きであっただろう。噂をまとめるサイト「chakuwiki」には、埼玉西武ライオンズのとして、

・埼玉なのに巨人ファンばかりの市町村もある。特に荒川から東側の「東埼玉県」。
・埼玉のチームとか言いながら球場の30m先は東京都。埼玉の外れにあるので県内の他市町村にとっても地元チーム意識が薄いばかりか所沢市街地でも熱狂してる人は少ない。むしろ西武デパートがセールをやるのでそっちが目当て。
・所沢で他の球団の帽子をかぶって歩いても何も起こらない。阪神とは対照的。

など多数の書き込みがみられ、熱狂的なファンがいる他球団と比べ“おらが街のプロ野球球団!”という意識はあまり高くないようだ。

最後に埼玉西武ライオンズにまつわる記録等をWikipediaからご紹介する。

・連続Aクラス入り25年(1982年~2006年)※日本球団最長記録
・永久欠番は稲尾和久の「24」
・西武になってからの球団シンボルマークは、西武線沿線にゆかりが深い手塚治虫の『ジャングル大帝』の主人公・レオを採用している。肖像権料は1億円という(しかし作者の手塚は生前「あの球団旗などに採用されたキャラクターは実はレオではなく、父親のパンジャであった」と語っている)。

近年では、サッカー人気に押され気味の日本のプロ野球。テレビ中継の視聴率も悪化し、地上波放送はほとんど行われなくなってしまった。プロ野球ファンにとってはなんとも寂しい時代だ。西武ライオンズが誕生したこの日、ふとそんなことを感じた。

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