レム・コールハースと「ショッピング」
◇ OMA/Rem Koolhaas メモ - 洋書日記 *archive
http://orange.ap.teacup.com/applet/kenjiido/msgcate8/archive
◇「ショッピング・ガイド」へのガイド|八束はじめ - 10+1 web site
http://tenplusone.inax.co.jp/archives/2004/02/06162726.html
◇「NEW URBAN CONDITIONS」でのコールハースの言説をめぐって|田島則行
http://tenplusone.inax.co.jp/review/nuc/tajima.html
◇ 瀧口範子x戸谷茂山 対談 Fireside Chat 〜 建築への思い - JTPA
”コールハースはいきなり、「建築家という職業は今、瀕死の危機に直面している」、とスピーチを切り出した。”
”建築家が危機にあるという彼なりの理由は3つだ。ひとつは、そもそもクライアントという他人頼りの職業であるということ。”
”ふたつ目は、都市、そして人間のプラグラムのすべてに「ショッピング」、つまり営業活動やコマーシャル化された行為が進入し、今や教会、美術館、病院にいたるあらゆる空間に商業的要素が蔓延しているために、これまでただで享受したはずの都市にわれわれが金を払わなくてはならなくなったという変化。”
”3つ目は、激しく上下する経済情勢のあおりを受けて安定性を失ったビジネスの影響がもろに降りかかってくること。短く見積もっても4年はかかる建築のプロジェクトは、そうした経済の変化にまともにされされる。あてにできるものは何もない。”
瀧口範子「行動主義 レム・コールハース ドキュメント」プロローグより抜粋
http://www.jtpa.org/event/seminor/000279.html
岡崎乾二郎「ZERO THUMBNAIL」展 A-things - 上田和彦 UEDA,KAZUHIKO
その結果として、作品上に顕在化していた無防備な楽天性は、この作家を絵画/彫刻というような形でジャンルの再考を迫るデュシャン的存在から、物そのものヘと成りきる享楽的なobject/popとしてのクレス・オルデンバーグ*1的存在への生成変化の可能性に晒していたと言えるのではないだろうか。
http://d.hatena.ne.jp/uedakazuhiko/20070724/p1
上田和彦さんの展覧会評です。
永瀬恭一さんの意見は↓こちら。
http://d.hatena.ne.jp/eyck/20070703
http://d.hatena.ne.jp/eyck/20070723
http://d.hatena.ne.jp/eyck/20051004 ※2005年の展示について
古谷利裕さんの意見は↓こちら。
http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20070606
http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/nisenikki.html ※07/07/21(土)と07/07/22(日)
あと、ART遊覧の沢山遼さんのレビューは↓こちら。
http://www.art-yuran.jp/2007/07/zero_thumbnail_c343.html
絵画/彫刻については、以下のような意見も。
◇ ロイ・リキテンシュタインの家 - SUPER FLAT 2
http://blog.goo.ne.jp/superflat/e/a32999cf4b6f76c74790c46866f995ad
◇ キャンバスの裏に台座を置くこと....岡崎乾二郎の絵画 - 非文芸的日乗
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/bin/day?id=51622&pg=20021102
暗黒物質 - MORI LOG ACADEMY
科学の心とは、これくらい大らかであるべきだろうか。科学(science)と工学(engineering)の差を感じさせる。そこが一番印象的だった。さすがに、横で見ていたスバル氏も「あの人たちは、何のつもりなの?」と呆れていたから、普通の人にも、「心」は伝わったものと思われる。
一般社会からは見えない「暗黒欲望(dark desire)」によって科学はゆっくりと、しかし確実に進んでいるように観測される。それがなかったら、これほど科学が着実に進むことが説明できない。
http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2007/07/post_1287.php
馬鹿に芸術はできない - SUPER FLAT 2
なによりまず自分が何を知らないか知らなくてはいけない。知らないことが何なのか分かれば、あとはそれを知るために勉強するだけだ。本を読んだり人に教わったりすればいいだけだ。そうしないと、いきおい「魂」や「命」の話しかできなくなる。学ぶことを忘れた傲慢なアーティストは、みんな「芸術は生命現象だ」とか「宇宙の真理だ」とか分けの分からないことを言い出すのだ。それこそ頭がどうにかしている。気が狂っている。
http://blog.goo.ne.jp/superflat/e/f7e92351d8603bb56c18d8d53a7de2b4
寒い - 大森俊克 SHOW TIME
http://www.loaps.com/column+index.id+47.htm
ところどころ「てにをは」がブレてたりするあたり、
原稿執筆時の大森さんの怒りがうかがえます。
やたら「ポストモダン」とか「脱構築」を連発する人を素直に信用することができないのと同様に、むやみに「アフォーダンス」とか「クオリア」を連発する人を素直に信用することができません。(英語直訳風)
「テラン・ヴァーグ」→ http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070408#p7
「零度」→ http://d.hatena.ne.jp/n-291/20060505#p4
「写真行為」→ http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070315#p3
……とか、その言葉と一定の距離感を保たないかぎり、
自分自身を罠に嵌めることになってしまう言葉はたくさんあると思います。