広瀬和生氏は1960年生まれ、東京大学工学部卒。音楽誌『BURRN!』編集長。30年来の落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に接する。その広瀬氏が、“大名跡に相応しい大器”と評する噺家が桂米團治だ。
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東京にも上方にも、いわゆる「二世落語家」は何人もいるが、もちろん落語は世襲制の芸能ではない。芸人としての出発点において「七光り」は確かにメリットとなるだろうが、当人に才能が無ければ、それはデメリットにもなる。「あの人の倅がこれかい?」と、より厳しい批判の目に晒されるからだ。
稀に見る「名人二代」を実現したのが五代目古今亭志ん生の二人の息子、十代目金原亭馬生と三代目古今亭志ん朝だが、彼らほどの名手にして、「志ん生の倅という呪縛」はあまりに重かったと聞く。
上方落語の桂米團治は「西の人間国宝」桂米朝の実子。彼は「二世かくあるべし」というお手本のような、魅力溢れる演者だ。1958年生まれで1978年に父に入門して三代目桂小米朝を名乗り、2008年に五代目米團治を襲名。「米團治」は米朝の師匠の大名跡だ。襲名するプレッシャーは、ある意味「米朝」を継ぐより大きいかもしれない。
だが米團治には「人間国宝の息子」「大名跡の襲名」という二重のプレッシャーをものともしない、「天然」ともいうべき明るさがある。それは、米朝一門の「若旦那」として伸び伸びと育った彼ならではのものだ。米團治の魅力は、その屈託の無い「若旦那らしさ」にこそある。
彼は小米朝の頃から、「自分が米朝の息子であること」を積極的にネタにしてきた。彼が父の会話を再現すると表情や口調が米朝そっくりで「やっぱり血は争えない」とファンは嬉しくなる。ダメな二世落語家が親をネタにすると、イヤらしくてとても聞いてられないという気になるものだが、米團治の「米朝ネタ」は心の底から楽しめる。
それはちょうど、柳家花緑が祖父である「東の人間国宝」五代目柳家小さんを引き合いに出しても嫌味が無いのと似ている。小さん一門の「お坊ちゃん」として育った花緑の高座から感じる「素直な人柄の魅力」が、米團治の高座にもある。米團治の「米朝ネタ」は彼にしか出来ない、最高のファンサービスなのだ。
※週刊ポスト2012年1月1・6日号