こんにちは、ゲスト

ショッピングカート

NEWS & COLUMN ニュース/記事

【第20回】特別編――MURO×ハマ対談〈完全版〉

連載
ハマ・オカモトの自由時間
公開
2013/05/01   18:00
更新
2013/05/01   18:00
テキスト
構成/編集部


MuroHama4



bounce 354号に掲載しているOKAMOTO’Sハマ・オカモトの連載〈ハマ・オカモトの自由時間【特別編】〉の〈完全版〉! ゲストにMUROさんをお招きしている本誌【特別編】には、スペースの関係でその対談の一部しかご紹介できていないんです……実は……。しかしそれはもったいない!ということで、こちらでは対談の模様を(ほぼ)フルで収録したものをご覧いただきたいと思います。興奮のあまり鼻息も荒いハマくんの息遣いが伝わってくるはずですよ!



MUROさんに影響を受けたことはホントに多い



ハマ「今回は連載20回目ということで、僕がずっとお会いしたかったMUROさんをお招きしての特別編でお送りします! 第7回で取り上げたベン・ロンクル・ソウルはMUROさんのブログで知ったりとか、ホント教わったことは多くて」

MURO「へー、そうなんだ! ぜひバックナンバー欲しいな(笑)」

ハマ「ホントに根本の話をすると『HAWAIIAN BREAKS』(2009年)がいちばん最初に聴いたMUROさんの作品なんですよ」

MURO「そうなんだ」

ハマ「ズットズレテルズの時に機材車でそれがめっちゃかかってて。グリーンウッドの“Sparkle”が入ってるじゃないですか」

MURO「うんうん、ハワイのバンドが山下達郎さんの“SPARKLE”を英語でカヴァーしたやつ」

ハマ「そういったマニアックすぎない曲っていうか、当時の僕らでも喰い付けるポイントがあって。周りのヒップホップやってる友達はもちろんMUROさんのことは知ってましたけど、その頃僕はあまりミックスCDというものを聴いてなかったので、それが初ミックスCDであり初MUROさんだったんです。『Soul Station 11154』(2009年)もすごい好きで、ヒューバート・ロウズなどはそこで初めて知りました。あれ(“Family”)はライヴ・テイクでしたよね。それでアルバムを買ったんです。僕が日本盤を買うようになったのもMUROさんの影響で」

MURO「そうでしたか……嬉しいです(照)。ハマくんは、ブラック・ミュージックの入りっていつ頃?」

ハマ「高1くらいですかね。音楽は中2くらいからやってたんですけど。高校の頃にレッチリ・ブームが来て、結構レッチリの人たちは自分のルーツを話すんですよね。僕以外のメンバーは、そこで出てきたストゥージズとか、60~70年代のUKロックのほうに行ったんですけど、僕はPファンクとかミーターズなんかがおもしろそうだなと思って聴くようになったんです。ベーシストのフリーがよく話していたので。ジョージ・クリントンがレッチリのアルバム(『Freaky Styley』)をプロデュースしてる……というのを知って、そこからまた掘り下げるようになったり。一方でモータウンを聴きはじめたり――レッチリ(を聴くだけ)で終わらなかったのは良かったですね」