1965年から始まる9年連続日本一、読売巨人軍のV9時代の9年間、守備の要として君臨したのは森昌彦(現・祇晶)だったが、川上哲治監督は毎年のように捕手を補強して森に揺さぶりをかけた。その中で、二番手捕手として9連覇のすべてに立ち会ったのが、1965年に市立神港高(兵庫)から巨人入り、1984年に現役引退した吉田孝司氏だった。控え捕手として見たON(王貞治、長嶋茂雄)の姿を吉田氏が振り返った。
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当時、春のキャンプでは、夕食の後、毎晩7時から川上監督によるミーティングがありました。その後8時から宿舎の「江南荘」の大広間で打撃コーチの荒川(博)さんの指導の下、素振りをしていました。
ONは僕たちの後に来てスイングをする。荒川さんが「王、準備はいいか」というと、パンツ一丁になった王さんが一本足に構えてからバットを振り始める。10分もすると額に玉の汗が浮かんでくる。その集中力が凄いんです。今の若い選手に見せてやりたいくらいですよ。僕らは物音ひとつたてず、横で正座して見ていました。
長嶋さんは必ず障子の前でバットを振って、その音を確かめていました。振るとブルンと障子が震えるんですが、自分で「ダメだ、ダメだ」と繰り返すうちに、障子がピシッという音を立てはじめる。
その時に「これだ!」となるわけです。ヘッドを遅らせて振らないとこの音は出ないというんですが、誰が真似をしてもそんな音はしなかった。長嶋さんのバットスピードはそれほど速かったんです。
※週刊ポスト2014年11月14日号