読売巨人軍の日本一10連覇は、堅守と俊足巧打を誇るトップバッター・高木守道氏が牽引する中日ドラゴンズに阻まれた。中日にとっては20年ぶりのリーグ優勝だったが、同日、長嶋茂雄氏が引退表明し、球界を揺るがす大事件となった。1974年10月14日、長嶋氏の引退試合にまつわる思い出を、高木氏が語った。
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優勝翌日の新聞の一面には、中日の優勝ではなく、「長嶋引退」の文字が大きく躍りました。そして巨人―中日の最終戦が、長嶋さんの引退試合となった。
ペナントレース上は消化試合ですから、本来なら控えが出場する。でも引退試合にそれは失礼です。だから僕は中日の主力選手勢揃いで、真っ向勝負するつもりでした。
ところが、10月13日に予定されていた最終戦は雨で中止となり、14日に順延された。間が悪いことに、この日は中日が名古屋で優勝パレードをすることになっていたんです。
交通規制もあって予定は動かせないし、主力選手がいないパレードでは名古屋のファンが納得しない。結局、主力選手と与那嶺監督は優勝パレードへ参加、引退試合には残った若手選手と近藤貞夫ヘッドコーチが監督代行で臨むことになったんです。
他の誰でもない長嶋さんの引退です。僕も、打倒巨人に燃えていた星野仙一もその最後の姿を見届けたかった。
それでも球団行事はどうにもならず、長嶋さんには「出場できなくて申し訳ありません」と謝りの電話を入れました。長嶋さんは「ありがとう、ありがとう」と、あのカン高い調子で話してくれました。
※週刊ポスト2015年2月27日号