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榎並 紀行(やじろべえ)
2015年7月9日 (木)

クリエイターよ八王子に集まれ! 賃貸オーナーの50年構想

八王子を日本の“SoHo”に! 靴屋の店主が描く50年構想
写真撮影:飯田照明
東京郊外の中核都市・八王子。その玄関口である八王子駅は一日平均8万人以上が利用する巨大駅だ。しかし、数多くの商業施設や飲食店でにぎわう駅北口とは対照的に、古くからの住宅が並ぶ南口周辺は閑散とした雰囲気に包まれている。 八王子で靴屋を営む小俣能範さんは今、そんな南口エリアを「日本のSoHo」へと再生するべく尽力している。50年先を見据えた民間レベルの街づくり構想。その展望を取材した。

200人のクリエイターを八王子に集めたい

小俣さんは八王子で60年続く老舗靴屋の代表。現在66歳。自身も八王子で生まれ育ち、街の動静を眺めてきた。かつてに比べにぎわいを失いつつある地元の未来を憂い、数年前から始めたのが、八王子駅南口を拠点にした若いクリエイターの支援活動と、それにひもづけた街づくり。具体的には、自身の所有する南口の一戸建て物件をお金のない若いクリエイターに格安で貸し出し、アトリエや活動の場を提供。最終的には南口一帯に200人のアーティスト、職人などを呼び込みたいと考えている。ものづくりを生業とする若者の力を結集し、一帯に活気を取り戻すのが狙いだ。

「きっかけは6年前。当時、私が所有していた南口徒歩5分の一軒家を、『TRICKY(トリッキー)』という女性デザイナーズユニットに貸したんですが、40年以上空き家だった古い建物を自分たちの手でアトリエに改装し、見事に再生してくれました。以来、1階をギャラリーに改装して人を集めたり、八王子のフリーペーパーを制作したりと、地元を盛り上げるために頑張っています。そんな姿を見て、彼女たちのような若い才能がもっと集まれば、一帯に活気が戻るのではないかと思ったんです。南口には古い空き家がたくさんありますから、活動の拠点を求めている若い人がそこを安く借りられるようにしていきたいと考えています」(小俣さん、以下同)

現在では所有する二つの一戸建てをアトリエとして提供している小俣さん。さらにその数を増やすべく引き続き物件を探しているが、個人の力では限界がある。市にも協力を呼び掛けているが、現時点で色よい反応は得られていないという。

アートを糸口に、地元商店街の活気を生む

今後に向けた課題はあるものの、集まったクリエイターの力により南口周辺はじわじわと盛り上がりを見せている。象徴的なのが、TRICKYが企画し、地元のアーティストや商店街を巻き込んだイベント「Honey’s Garden(ハニーズガーデン)」だ。年1回、一帯を歩行者天国にしてライブやワークショップを開催するほか、店舗を利用したアート展示も実施。普段は夜営業の飲食店もこの日は昼からオープンし、多くの来場者でにぎわう。

「いつもは閑古鳥が鳴いているようなお店でも、イベント時には1500人くらいのお客さんが来る。そのうちの何人かでもリピーターになってくれれば、お店としては万々歳です。実際、イベント後の数カ月間、売り上げが3~4割アップしたお店もあります。『ハニーズガーデン』がスタートしてから、それまで北口に集中していた人が、少しずつ南口にも流れてくるようになりましたね」

【画像1】イベントはすでに7回を数えるが、回を重ねるごとに来場者は増えているという。(画像提供:TRICKY)

【画像1】イベントはすでに7回を数えるが、回を重ねるごとに来場者は増えているという。(画像提供:TRICKY)

「ただクリエイターが集まるだけでは何も起こらない。彼らがこの街を舞台に何かを仕掛けたり、遊んだりしてくれることが大事なんです。そして、そんな楽しそうな気配に誘われて集まってきた人たちがまた、南口の新しい経済や文化をつくっていく。そのために、今は最初の種まきをしている段階ですね」

八王子は「SoHo」になれるポテンシャルがある

若いころは海外を飛び回り、異国の街のさまざまな風景を目にしてきたという小俣さん。そこで気づいたのは、魅力的な街の色はそこに暮らす人々によってつくられるということ。

「ニューヨークなどは顕著ですが、職業や会社の規模によって住む場所が明確に分かれ、ライフスタイルも飲みに行く場所も聴く音楽も、明確なすみ分けがされている。それぞれの文化が街づくりにも色濃く反映されているから、同じ市内でもエリアによって全く雰囲気が異なるわけです。一方、日本はホワイトカラーもブルーカラーも同サラリーマンというくくりでまとめられ、ライフスタイルにもそう大きな差がない。だから街に個性が反映されにくいんだと思います」

【画像2】かつて自分を刺激した世界の街の多様性。それが現在の活動の原点になっているという。(写真撮影:飯田照明)

【画像2】かつて自分を刺激した世界の街の多様性。それが現在の活動の原点になっているという。(写真撮影:飯田照明)

「サラリーマンは生活するときに自分の色を出さない。でも、アーティストやクリエイターは一人ひとりが強烈な色をもっていて、それが200人も集まれば、街ごと塗り替えてしまえるくらいの影響力をもっている。もともと住んでいる人たちの生活さえ邪魔しなければ、新しく入ってくる人にどんどん色をつけてもらったほうがいいと思うんです。
古い空き家を壊してプレハブみたいな家をたくさんつくったって、街としては何にもおもしろくない。それならぼろぼろでも趣ある住宅に手を加えて若いクリエイターに活用してもらったほうが、よほど未来があります。彼らが年に1度でもアトリエをオープンして展覧会やワークショップを開けば、市街からも多くの人が集まるでしょうし」

イメージに近いのはニューヨークのSoHo。現在は高級ブティック街として知られているが、もとはダウンタウンの倉庫街。1960年代から70年代にかけて賃料の安い空き家に若い芸術家やデザイナーがこぞってアトリエを構え、今日に至る繁栄の礎を築いた。
その後、地価上昇に伴う諸問題が生じたとはいえ、アートの力が街を再生した代表例といえるだろう。

「八王子は東京郊外とはいえ都心から1時間で来られる距離ですし、アーティスト自身に力があれば日本中、世界中から人を集めることだってできるはずです。南口は北口に比べて地価も安く、築50~60年の空き家が増えている状況は、60年代のSoHoに似ている。かじ取りはしっかり行う必要がありますが、八王子はかつてのSoHoのようになれるポテンシャルを秘めていると思います」

次の世代のため、街の勢いを取り戻したい

現在は八王子のために尽力する小俣さんだが、若いころは地元があまり好きではなかったという。世界各地を回っていたのも「田舎でくすぶりたくない」という思いがあったからだ。それがなぜ、今になって街の未来を考えるようになったのか?

「それは年をとったせいですね(笑)。ある程度年齢を重ねると、日本の良さが分かってくるんですよ。だからその良さをもっと活かしたいと思うようになったんです。それに、私は長くこの場所で商売をさせていただいていますが、それは先人たちが街をつくり、発展させてくれたおかげです。しかし、最近はどんどん街の力が弱くなっていくのを感じていて、このままでは衰退していく一方。地元の恩恵を受けてきたものとして、次の世代にも八王子はいい街だと思ってもらえるように力を尽くしたい。ただ、本当に街を変えようと思ったら最低でも50年はかかるでしょう。そのとき私はこの世にはいないでしょうが、自分の力の及ぶ範囲で準備をしておきたいと思っています」(同)

しかし、行政のバックアップが望めない現状では、費用面も含め自身の負担が重すぎるのではないか。そう聞くと、小俣さんはこう笑い飛ばした。

「それは仕方ないですね。だから私もう、きれいなねえちゃんと呑むのやめたんです(笑)。ゴルフもしないし、お酒も減った。そしたら、けっこう何とかなるもんですよ。出ていくお金の方向が変わっただけで、今も十分に楽しいですしね」

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