江戸時代の紅葉狩りの名所といえば、能・歌舞伎の「紅葉狩」の舞台にもなった信州の戸隠山(とがくしやま)が有名だった。ほかにも、上方では京都の高雄、奈良の竜田川などが知られ、江戸では品川の海晏寺(かいあんじ)と浅草の正燈寺(しょうとうじ)が双璧だったという。
春の桜の花見のように一般庶民が大騒ぎをする行楽とは違い、紅葉狩りのほうは趣味人が茶道具や角樽などを持ち込んで、紅葉を楽しみながら詩歌を詠んだりして静かに過ごしたようだ。
桜の花見を庶民に定着させたのは、八代将軍徳川吉宗の政策もあったということは、筆者の同じシリーズ記事「花見が行楽として定着したのは、江戸時代のヨシムネミクスから」に書いたが、王子の飛鳥山には桜だけでなく楓も植えさせて、秋の紅葉も楽しめる行楽地としている。
江戸ではほかにも、上野の寛永寺や目黒の明王院、大塚の護国寺、向島の秋葉権現など紅葉の名所はいろいろとあったのに、なぜ品川の海晏寺と浅草の正燈寺が双璧といわれたのだろう?それは、どちらも遊郭(吉原と品川宿の遊郭)がすぐ近くにあるので、紅葉狩りを口実にして、紅葉と遊女の両方の美しさを楽しめるという理由からだ。
秋になると歌舞伎では「紅葉狩」の舞踊がよく演じられる。平維茂(たいらのこれもち)による信州の戸隠山の鬼女退治を描いた、能の「紅葉狩」を題材として歌舞伎化されたものだ。2015年9月の歌舞伎座では、市川染五郎さんが「更科姫実は戸隠山の鬼女」を演じた。
紅葉狩りに戸隠山を訪れた維茂が、更科姫(さらしなひめ)の酒宴に誘われて勧められるままに酒を飲む。更科姫は舞いながら、維茂が酔いつぶれたのを確かめて、侍女たちとともに姿を消す。そこに山神が現れて、維茂に「姫は実は鬼女だ」と警告するが、維茂はなかなか目覚めない。ついに鬼女となった姫たちが現れて維茂に襲い掛かるが、目覚めた維茂が立ち向かう……というのがあらすじだ。
同じ役者が、前半の典型的なしとやかなお姫様と、後半の維茂に襲い掛かる鬼を踊り分ける点が見どころだ。ほかにも、扇を2本使って空中で入れ替えるなどの通称「二枚扇」とよばれる更科姫の踊りも見どころで、初演の9代目團十郎本人による苦心の振付だという。
「紅葉狩」は、戸隠山の鬼女の「紅葉伝説」がもとになっている。2015年9月公演の筋書によると、子宝に恵まれなかった夫婦が、魔王に祈って女の子を授かる。成長して京に上り、「紅葉」と名乗って源経基の寵愛を受けるようになるが、御台所(正妻)を呪い殺そうとしたのが発覚し、戸隠山に追放される。京での栄華が忘れられない紅葉は、京に上る軍資金を集めようと、鬼女となって悪事を働くようになる。平維茂が鬼女討伐の命を受け、降魔の剣を授かって鬼女を退治するというものだ。
江戸時代の人たちは、四季の移ろいをとても大切にした。秋は、紅葉狩りだけでなく、ぶどう狩りやキノコ狩りなど、いろいろと楽しめる季節。江戸っ子に負けないように、自然に触れてリフレッシュするのもよいだろう。