変な話でごめんなさい | 橋本志穂の部屋

変な話でごめんなさい

母は死にました。
頑張れなかったーと思っていたら、
Facebookを通じて優しいお友達から
「頑張れなかったんじゃなくて
頑張ったんだ」と言っていただき、、、
母を誇りに思いました。

でも、アメブロには人の親が死んでも
こんな意地悪なことを言う人がいて

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またアメブロ嫌いになりました。
Facebookも更新する気持ちになれなくてー。

写真どころか、私はビデオでずっと撮影した。
母の頑張りをおさめて、あとで、「こんな苦しそうやったのに、また元気になったねー」と笑えるから
いつも誰の時もそうしていたし、、、。

ゴールデンウイーク突入の時期で、
東京にいる兄や姉や姪っ子、、、、
みんな「私たちは今は行けないから
落ち着いたら行く。志穂に任せたよ」と
頼まれている。みんなにラインで報告しなければいけないから
その責任感もあった。
先生が話をしてくれるけど
メモを取れない。ただしく、他の家族につたえるために主治医の説明も、看護師の処置も
多くを撮影した。
先生を信じていたけれど、
万が一、医療過誤があったりするかもしれない。
それを、私1人しか見ていないー
どう家族に説明する?
私は芸能人だから撮影しているのではない。

テメーに見せるためじゃねーんだよ!
来れない家族に報告するためや、
生き別れになって連絡の取れないきょうだい、
父の教え子たちにも
手っ取り早く、お見舞いに来てあげてね!と
伝えるためなんだよ!  と怒りがこみ上げる。
言葉汚くてゴメンナサイ。

被災した芸能人を攻撃してみたり、
被災地に手を差し伸べる芸能人に売名だと
誹謗中傷したりー
芸能人だというだけで、いけ好かないと思ってる輩のせいで、どれだけ多くの芸能人が
傷つけられているのかー。


応援してくれる人もたくさんいるから
そんな虫けらのことをいつまでも
気にしていては
私らしくないな。。。とも思う。


母が危篤ーといっても、本当に死ぬと思わなかった。
糖尿病、リウマチ、鬱、掌蹠膿疱症、脳梗塞、腎盂腎炎、、、数えればキリがないほど
病気の宝庫のような体で
私が子供の頃も胆嚢炎でずっと入院していた。

それでも元気で、時々パタッと倒れる。
入退院を繰り返し、
いつも生還して笑ってた。

今回も、私が行けばきっとまた元気な笑顔
見せてくれるーと思って。
何より、看病で滅入ってる父を助けたかったから
急遽、飛行機とって博多に入り
病院に泊まることになった。

私が病院に着いた時、兄が側についててくれて
いろいろな数値を教えてくれた。
酸素量が低く、血圧も低いー。
これらが下がらないよう、見張っているという。
その仕事を私が引き継いでー
母とも会話できたし、
数値がどんどん安定してきた。

だから私は死ぬと思わなかった。
朝までに、血圧の点滴も、どんどん量を減らしていくことができた。

ただ、敗血症の毒素が全身に回り、
余力を失った母は、痛みから逃れるために
意識を閉じてしまったのです。

体は動いてるのにー。
意識が戻らない。

母の大親友たちが「親族です」といって
時間外だけどきてくれて、、、
仕事終わりの父もかけつけて、
親族以上の親族の3人に見守られ、
最後の戦いにも、参戦しなかった。

脳梗塞がおきてるかもーと、MRIもとりにいった。
レントゲンや心臓マッサージや、AEDや、、、
いろいろやったけど、こっちの世界の苦しさに
もう戻りたくなかったと思う。

挿管するかーという判断を迫られたけれど

挿管しても見込みは低いと言われ、
これ以上の苦しみを母に与えたくなかった
私たちは、すべての装置を外してもらった

それで母の心臓は止まったのです。

仮通夜、通夜、告別式と
本当に悲しむ間もないほどバタバタと
いろんな母を送るセレモニーを
とりおこない、
やっと現実を見つめることができたときに
アメブロに届く卑劣なコメント。

ほんと、嫌になる