江戸時代の夏の涼の取り方として、欠かせないのが自然の風と水だ。
日中は夏の日差しを葦簀(よしず)で遮りながら、打ち水をして涼しい風が室内を通るように工夫した。見た目にも涼しいように、鉢にたっぷりの水を入れて中を泳ぐ金魚を鑑賞したり、水の中に浮かべて冷やした夏野菜やスイカなどを食べたりと、水をうまく活用することで少しでも涼しく感じるように工夫した。
それでも日中は暑いので、一日ごとに稼ぐ職人などの庶民は、ずる休みをしてふて寝をしたり、湯屋でぐずぐず時間をつぶしたりということも。落語に登場する長屋の連中は、たいがいがそういうことをしている。
そして、涼を求めて皆が集まるのが水辺。川のほとりや池の周りをそぞろ歩いて、そこを吹く涼しい風に当たったり、「滝浴み(たきあみ)」をしたりした。滝浴みは、滝に打たれたり、滝を眺めて楽しんだり、その川の水で遊んだりして涼を求めること。江戸時代は、王子にいくつかある滝に行楽を兼ねて出かけるのが流行っていたようだ。
さて、画像1の夕涼みの浮世絵を見てほしい。この絵の中には、涼を取る江戸時代の知恵が描かれている。左の女性は、川岸に縁台を置いて自然の風に当たっている。川には、舟遊びを楽しむたくさんの船が浮かんでいる。右の男女は扇子(せんす)と団扇(うちわ)をそれぞれ持っている。庶民が夏の小物として、扇子や団扇を持ち歩くようになったのは、江戸時代からだという。
そして、中央の親子の子どもの手には虫かごが描かれている。江戸時代は蛍狩りなどが盛んに行われていたので、自ら捕まえたのかもしれないが、四季を楽しむ江戸っ子のために「虫売り」という商売もあったので、買った可能性が高いだろう。見て楽しむ蛍や耳で楽しむ鈴虫、コオロギなどを売り歩いていたという。
夏の芝居には、本水(ほんみず)といわれる実際の水を大量に使う演出のある演目がよくかかる。
通常、雨はパラパラという音で表現されるが、舞台に実際の水で雨を降らせたり、井戸からくんだ水を役者が実際にかぶったりする趣向が本水だ。これは夏の季節感を出すと同時に、エアコンがなく、大勢の人が集まるので暑かった当時の芝居小屋の観客に、涼しさを感じてもらうために工夫されたもの。
今でも本水を使う芝居では、観客席の最前列から3列目くらいまでにビニールのシートが配られるので、本水のシーンになるとそれを高く上げて水がかかるのを防ぐ工夫をしている。役者はわざと水をかけようとするので、意外に油断ができない。筆者もキャーキャー楽しんだ口だ(笑)。
「夏祭浪花鑑」もその一つ。主人公団七九郎兵衛(だんしちくろべえ)たちが、大恩人の息子(磯之丞)とその恋人の遊女(琴浦)を守ろうと奔走する悲しい物語だ。団七とお梶夫婦は、兄貴分の釣船三婦(つりふねさぶ)や、義兄弟の契りを交わした一寸徳兵衛(いっすんとくべえ)とその妻お辰たちと、力を合わせるのだが、罪を犯した磯之丞をかくまったり、琴浦に横恋慕する侍から琴浦を逃がしたりと話は二転三転。
最大の山場は、団七の義理の父で強欲な義平次が、金目当てに琴浦を連れ出したことに端を発し、団七が義平次を殺してしまうところ。舞台に本当の泥場をつくり、追いかけ合う二人は泥だらけになる。ついに義平次に止めを刺した団七は、血や泥を洗い流すために井戸の水で体を洗う。このときに本水が使われ、団七を演じる役者は何度も井戸からくんだ水を頭からかぶる。すっかりきれいになったところで、通りかかる夏祭りの神輿(みこし)連中に紛れ、祭ばやしがにぎやかに鳴り響くなかその場を去っていく。
エアコンのなかった江戸時代は、自然と共生して涼を取っていた。そうした知恵は、今の時代でも活用できるものが多い。先人の知恵を活かして、今年の暑い夏を涼しげな工夫で乗り切ってみるのはいかがだろうか。