【今週はこれを読め! エンタメ編】三人姉妹が営む店の悲喜こもごも〜原田ひ香『三人屋』

文=松井ゆかり

「ル・ジュール」とは、フランス語で「一日」という意味だそうだ。喫茶店にはぴったりのしゃれた名前である。しかしこれがスナックはともかくとしても、うどん屋の店名だとしたらどうだろう?

 さて、常連たちが「三人屋」という愛称(?)で呼ぶこの店、実は3人姉妹がやっている。しかし3人が力を合わせて経営しているということではなく、ひとりひとりでやっているのだ。営業時間帯をずらして。まず朝いちばんは、三女の朝日が営むモーニングの店。トーストが抜群においしく、パンの焼き加減や何を塗るかなどすべて客のオーダー通りにサーブしてくれる。昼は次女・まひるが切り盛りするうどん屋になる。清らかと言っていいほど美しいうどんは、味もまた絶品。そして夜は長女の夜月がスナックをやっている。ここのご飯(+味噌汁・香の物)も美味。この3人、一人一派閥的な関係で、特に夜月とまひるは折り合いがよくない。だったら、店を売って3人で分ければ同じ店で商売しなくてもすみそうなものだが、それは嫌だというところは意見が一致している。両親が苦労して残した店だから。

 この3姉妹たちに関わってくるのが、彼女たち全員と駆け落ちしたと噂のスーパー経営者・大輔やまひるの夫の勉、さらには店の常連たちとにぎやかな顔ぶれ。「この店に来る男は、一度は朝日かまひるか夜月に惚れる」とは大輔の弁だが、確かに3人とも美人揃いで、しかも供される料理がどれもおいしいとくれば、それは通い詰めるだろう。

 とはいえ、店主が美人であれば店は安泰というほど甘いものではない。そうかといって、愛想よくしてさえいればうまくいくとも限らない。さらには、味がよければ客がつくというわけでもない。店を維持していくにあたっては、思いつく営業努力はすべてやってみるマメさとフットワークの軽さあたりは最低限の必須条件で、それプラス経営に何が求められているかを常に見極める勘も必要、それでも運という不確定要素に左右されることもある。客商売というのはほんとうに難しい。

 もともとこの店は、夜月が生まれるということでオーケストラ奏者の道を断念した彼女たちの父親が始めた喫茶店だった。私自身も似たような経験がある。亡くなった父は食堂をやりたくて自分の故郷に店を持ったが、採算が取れず結局勤め人に戻った。3姉妹の父は演奏家になりたかったのに喫茶店経営、私の父は自分の店を持ちたかったが会社勤め。店に対する思いとしては逆だが、子どもが罪悪感に捕らわれるという意味では同じシチュエーションだ。彼女たちも父親が夢をあきらめたのは自分たちのせいだと考えている。私が救われたのは父の葬儀の場で聞いた叔父のひと言だ。「兄貴は店を畳んだのは残念だったろうけど、子どもたちがちゃんと教育を受けて一人前に育ってくれるのをいちばんに願ってたから」と。3姉妹の父親も、何よりも娘たちの成長が楽しみだったに違いない。自分が吹いたピッコロの音を娘たちが覚えていて、若い頃に録音したというレコードを探し続けてくれただけで十分だと、天国で思っていることだろう。

 父親に対してはノスタルジックな思いを抱き続ける娘たちも、ことが男女の仲となると騒々しい。彼女たち以外の連中の恋愛事情にも波乱あり。常連客の男たちの言い分は勝手だ。しかし店をやっている女たちも店に来ない女たちも勝手。そんな勝手な人間たちが顔をつきあわせていればしょっちゅうトラブルは起こるものだろう。でも、白黒きっちり付けて生きることも大事だけれど時には肩の力を抜いてもいいのだと、読んでいる側もすうっと気が楽になる。これからも「三人屋」はいろいろありつつ続いていくのだろうなと思われる。

 著者の原田ひ香氏はラジオドラマの脚本公募で入選した後、2007年に「はじまらないティータイム」で第31回すばる文学賞を受賞し作家デビュー。何気ない会話だけれども、誰がしゃべっているのかすぐわかるリアルさは、脚本を書かれていたからか。通好みの作風というイメージ。コンスタントに書き続けておられるようなので、今後のご活躍にも期待しております。

(松井ゆかり)

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