家族が生きた証し 平和の礎84人追加


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生まれてすぐに死んでしまった妹のことを語り「戦争は絶対駄目」と話す大城清徳さん=豊見城市翁長

 6月23日の慰霊の日に向けて、糸満市の「平和の礎」に84人の沖縄戦犠牲者の名前が刻銘される。県内出身者69人、県外15人。戦後71年を経ても、刻銘の申請は途絶えない。刻銘される犠牲者には戸籍がない人もいる。追加刻銘を申請した遺族は、家族が生きた証しを残せることに安堵(あんど)した。

 豊見城市翁長に住む大城清徳さん(82)は、防空壕で生まれ、2、3日後に名付けられることなく死んだ妹を「大城向三郎の三女」として刻銘する。「戸籍がなく、部落内で知っている人もいない。(刻銘は)無理だと思っていた」と話す。防衛隊に取られ戦死した父・向三郎さんと同じ礎に刻銘されることに「安心した」と話した。

 当時11歳だった大城さんは、翁長の自宅近くの山に防空壕を造り、母と妹2人と避難していた。末の妹が生まれた時期は「覚えていない」と語る。しかし、はっきり覚えていることがある。「砲弾を避けて、夜に埋めに行った。伯父さんの子どもと2人で穴を掘って。食べる物も着る物も何もなかったから裸のままだった」。それから数日後には、防空壕を追われ、南へ逃げた。たくさんの死体を見たという大城さんは「妹が死んでも悲しいと思わなかった。涙も出ない。戦争は人が人でなくなるんだ」と振り返る。戦後は一家の唯一の男手として働いてきた。
 昨年、戸籍がなくても刻銘できることを偶然知り、「もしかしたら」と申請した。刻銘が決まり「やっと安心できる」と話した。