『クリフォード訪琉日記』 琉球国のリアルな記録


社会
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『クリフォード訪琉日記』H・J・クリフォード著、浜川仁訳・解説 不二出版・1800円+税

 本書は19世紀初頭、琉球国を訪れたH・J・クリフォードの訪琉日記全訳である。訳者が英国博物館で発見し、本書の元になった日記稿本のオリジナル版(英文)の方は、後日刊行予定だという。琉球ファンとなりベッテルハイムの琉球派遣にも力を尽くしたクリフォードの観察眼に基づく日記が、本書では軽妙な筆致で訳されている。いまは存在しない琉球国の人々のリアリティーあふれる記録だといっていい。

 クリフォードはアイルランド生まれの英国人、海軍大尉として英艦ライラ号で1816年に琉球国を訪れた。日記は9月21日から10月27日の間、ほぼ毎日書かれている。琉球国暦でいえば嘉慶21年7月から9月、尚〓王の代。米国のペリー来琉より約40年、琉球国滅亡の70年ほど前のこと。尚育王と尚泰王に対する冊封使の来琉は日記後である。
 日記は1816年の琉球人の様子を描きだす。跳躍の練習をする船員を瞬時に打ち負かした男、水夫の歌声に熱心に耳を傾ける長や艦船を描く絵師、英語学習に夢中な紳士たち。スペイン語で話し掛けてきた人物や上達の早さを感激させた真栄平房昭の英語力、人なつっこいながらも礼節を踏まえた人々。そこには武術や音楽、絵画など芸や文化を力としたという琉球を感じさせる人々がいる。
 ペリーが訪れた際、「私はオランダ語ができます」という程度の英語力だったという江戸世界との差異の意味も喚起させる。
 欧米人が琉球を記録したものは、仏人フォルカードや米人ペリーなど多くあるが、訳者によればライラ号艦長バジル・ホールの『朝鮮・琉球航海記』とクリフォードは、ユニークな位置を占めるという。島人への好意的な眼差(まなざ)しや「琉球語彙」を残したクリフォードの情熱の背景にも興味をそそられる。
 本書のもう一つの魅力は、琉球に対する欧米人の関わりや眼差しの概史でもある訳者の解説だ。解説を補助線としホール航海記を対照すると、クリフォードの見た魅力的な琉球と琉球人がより立体的に見えてくる。
 (後田多敦・神奈川大学准教授)
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 H・J・クリフォード アイルランド生まれの英国人。1816年9月15日ごろから10月27日までの間、英国海軍大尉として琉球を訪問した。
 はまがわ・ひとし 沖縄キリスト教学院大学教授。

※注:〓はサンズイに「景」「頁」

クリフォード訪琉日記―もうひとつの開国
ハーバート・ジョン クリフォード
不二出版
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