今年2月24日、トヨタ自動車の元町工場(愛知県豊田市)で、同社が世界に先駆けて市販した水素で発電する燃料電池車(FCV)「MIRAI」の出荷イベントが開催された。
その挨拶で社長の豊田章男は「我々はあえてこの日にMIRAIのラインオフ式を行うことを決めた」と語った。「2月24日」はトヨタにとって特別な日だ。
5年前の同じ日、プリウスの大規模リコールを筆頭とする品質問題をめぐって、前年に社長に就任したばかりの豊田が米国の公聴会で証言を行った。彼らはこの日を「再出発の日」と呼び、今でも各部署で当時の対応を見直す勉強会など様々な取り組みがなされている。彼の言う「あえて」とはそのような意味だった。
「今までと同じように過去を振り返るのではなく、未来に向けて、新たな一歩を踏み出していく『再出発の日』にしたい、そして、今日という日を、水素社会の実現に向けた第一歩を踏み出す日にしたい」
そう続けた豊田の言葉を聞いたとき、MIRAIの開発をとりまとめたチーフエンジニアの田中義和は、ようやくここまで来たという思いに胸を詰まらせた。社長がイベントの日程としてこの日を選び、「未来に向けた日」という意味を付け加えたことに、開発担当者として身の引き締まるような思いを抱いた。
トヨタ、ホンダ、日産の3社が水素インフラ各社、行政機関とともに、15年を目途としたFCVの量産車の発売を宣言したのは11年。同時期に開発を任されてから3年が経った。田中はその年月以上の重みを開発の中で感じてきた。
文■稲泉連(ノンフィクションライター)
※SAPIO2015年5月号