古典音楽普及たたえ「世禮國男賞」創設へ 11月に音楽祭も


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琉球古典音楽の普及継承に尽力した世禮國男について語る照屋勝義さん=17日、うるま市の平安座自治会館

 【平安座島=うるま】「聲楽譜附野村流工工四」を著し、琉球古典音楽の普及継承に多大な貢献をした世禮國男について語る講演会(同顕彰事業会など主催)が17日、平安座自治会館で開かれた。世禮が作詞した平安座小中学校校歌を彩橋小中学校吹奏楽部生徒たちが演奏したほか、古典音楽演奏も交えながら、世禮の軌跡を振り返った。

 この日の語る会は顕彰事業の一環で行われた。同事業会の泉恵得会長は「11月には音楽祭を開催する。また詩や古典音楽、工工四にまつわる音楽の3分野で世禮國男賞を創設し、ローテーションで専門家3人による選考を行い、受賞者を決めたい」と、新規事業への取り組みについて話した。
 世禮は1897年7月20日に与那城村(現うるま市)平安座に生まれた。県立農林学校や第二中学校で教壇に立ち、知念高校、コザ高校では校長を務めた。その間に琉球古典音楽野村流中興の祖、伊差川世瑞に師事、共著で「聲楽譜附野村流工工四」を発行するなど文化継承に尽力した。
 講師は、県指定無形文化財琉球古典音楽野村流保存会の照屋勝義さんが務めた。感性に優れ、何事にも集中して取り組んだ世禮の性格に言及した上で「そんな才能の持ち主が古典音楽の道に進んだことは幸運だった」と述べ、「聲楽譜附野村流工工四」が、その才能ゆえに編まれた労作であると話した。
 戦前の軍国主義下の時勢を読むことにも才気があった世禮のエピソードにも言及し、「一時は三線をやめるよう知人へ進言したことがあった。それは沖縄音楽を卑下する時代の風潮を敏感に察知したのだろう」と話した。