<金口木舌>クリスマスの茶番劇


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 けさ子どもたちの枕元にサンタさんからの贈り物は届いただろうか。今でこそ国民的行事のクリスマスだが、庶民まで広がったのは戦後だ。沖縄では1947年、軍政下で初めて年7日の公休日が制定され、その1日がクリスマスだった

▼浸透には年月がかかったようだ。50年代前半の琉球新報は「庶民には外国の風習にすぎず」と書く。57年の社説でやっと「今年から一般家庭も参加するようになった」
▼沖縄にとっては、苦い思い出のクリスマスも多い。普天間飛行場の移設先としてキャンプ・シュワブが挙がった97年。クリスマスイブに当時の名護市長が首相と会談し、受け入れを表明、翌日辞任した。3日前に名護市民投票で移設反対の結果が出たばかりだった。民意を裏切る混迷の始まりとなった
▼2011年のクリスマス翌日には、沖縄防衛局が環境影響評価書を県に提出しようとして市民に阻まれた。28日午前4時に夜陰に乗じて搬入するというぶざまな姿をさらした
▼13年のクリスマスには上京中の前知事と首相が会談。「有史以来の予算」「いい正月になる」と褒めちぎった揚げ句、2日後に辺野古埋め立てを承認した。普天間問題に関しては聖夜の前後に県民だましの茶番劇が繰り広げられてきた
▼ことしは法廷闘争の中の年の瀬だ。県民に「基地のない島」というプレゼントが届く日を信じたい。