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金井直子
2015年11月9日 (月)

80歳で起業、和田京子不動産が誕生したワケ(前編)

80歳で起業、和田京子不動産が誕生したワケ(前編)
撮影/SUUMOジャーナル編集部
「一度も就業経験のない専業主婦が79歳で宅建の資格をとり、80歳で不動産会社を起業」、「仲介手数料無料という顧客目線のサービスで年商3億円」——。最近、そんな耳目を引く言葉で、テレビ各局の情報番組に紹介されている和田京子さん。なぜ経験のない不動産業を手掛けることになったのか。80歳で一念発起し起業に至るまでの人生と、過去の経験がもとでうまれた現在の徹底した顧客サービスについてお話を伺いました。

顧客を第一に考える和田京子不動産の独自サービス

和田京子さん(以下、京子さん)は、江戸川区で売買物件を専門に扱う「和田京子不動産株式会社」を営む85歳の現役社長。共同代表である孫の和田昌俊さんと一緒にご自身の氏名を冠した会社を立ち上げて、今年で5年目。従業員はなく、お二人で仕事を分担し、仕事が深夜にまで及ぶことも少なくないという多忙な日々を送っています。

創業3年目以降は年3億円の売り上げを達成しているそうですが、それは「80歳で開業」という話題性だけで成し遂げられることではなく、京子さんと昌俊さんが顧客の立場で考え抜いた独自のサービスを提供していることが大きく影響しています。

【顧客にとってうれしいサービス】
(1)買主からの仲介手数料が無料

売買物件の仲介業者は「物件価格の3.24%+6.48万円(税込)」(※1)を上限とする仲介手数料を、売主・買主双方からそれぞれ受け取れると宅建業法で定められています。例えば3000万円の家を買ったら仲介手数料は最大で103万6800円となるのですが、和田京子不動産では買主からの手数料を無料としています(※2)。
※1:物件価格400万円超が対象。それ未満の仲介手数料の上限は異なる。
※2:ただし、専属専任媒介物件など売主側の仲介手数料が生じない物件は、一律50万円(税込)の仲介手数料がかかる

(2)住宅ローン事務代行手数料(※3)が無料
住宅ローンの手続きを不動産会社が代行する場合、一般的に10万円ほど(※4)の手数料が発生しますが、これが無料になります。
※3:銀行やローンの紹介、申請書類の代書作成、申請時に銀行でサポートする等の事務手続きに対する手数料。実費は顧客負担
※4:仲介会社によって数万〜30万円と幅がある

(3)売買契約締結時に顧問弁護士が無料で立ち会う
知識が少ない顧客が、人生で一番大きな買い物で悪徳不動産会社にだまされることがないよう対応しています。

(4)24時間営業
仕事や育児などの都合で夕方までに不動産会社へ行けないという顧客や、すぐに相談したいという顧客のため、いつでも電話やメールで対応できるよう、就寝時や入浴時にもスマートフォンを手放さないようにしています(問い合わせ電話の増えた現在は、冷やかし対策として電話代行サービス経由で電話を受け付けているそうです)。

このほかにも、顧客の内覧前に現地を視察し候補物件のメリット・デメリットを把握して、悪いところも包み隠さず伝える、顧客と物件の内覧へ行く際に一緒に夜道を歩いて安全性を確認する、500円分のクオカードを名刺にして「足代の足しに」と渡すなど、安心や細やかな心配りを提供しています。

家を購入した顧客からは「京子さんの親切・丁寧・親身な対応で安心して家を購入することができました」との声を多数頂いているそうです(HPの「お客様アンケート」より)。

サービスの最大の特徴である『買主側の仲介手数料無料』というのは、「買うお客様は一生懸命お金を貯めて、購入後にローンを返済していくわけですから、できるだけ費用がかからないようにして差し上げたい」、「わたくしがここまで生きてこられたのは世の中の多くの方々にお世話になったから。だから少しでもその恩返しになれば」という京子さんの思いと、他社とは異なる真の顧客サービスを提供したいという昌俊さんの考えから生じたアイデアでした。

ただし、買主側の仲介手数料が無料ということは、収入は一般の不動産会社に比べて半分以下しかありません。経費は同じだけかかるので、それを差し引くと利益は他社に比べて約3分の1となります。「だから倍以上働かないと、と薄利多売で頑張っています」と昌俊さん。駅から徒歩8分ほどの住宅街の路地に立つご自宅の和室を改装して事務所にしたり、広告費等の経費を削減することで維持してきました。

駅から距離があるので、電話を頂いて車でお迎えにあがるサービスもありますが、今は事務所に来訪せず、メールと電話で効率的にやり取りをする顧客も増えてきているそうです。

こうした、「家を買う人の幸せを第一に考える」というポリシーで顧客の立場に立ったサービスを徹底して行っているのは、実は、京子さんご自身の住宅購入の失敗経験が基になっています。

【画像1】左:一軒家に架けられた銀色の寄席文字の社名が目立っています(写真提供/和田京子不動産)。右:夜訪れる顧客のためにタイマー式の照明が道を照らします。車は京子さんの愛車。「車の運転が大好き」と、自ら運転して顧客を物件へ案内することも多いそうです(撮影/SUUMOジャーナル編集部)

【画像1】左:一軒家に架けられた銀色の寄席文字の社名が目立っています(写真提供/和田京子不動産)。右:夜訪れる顧客のためにタイマー式の照明が道を照らします。車は京子さんの愛車。「車の運転が大好き」と、自ら運転して顧客を物件へ案内することも多いそうです(撮影/SUUMOジャーナル編集部)

ワケあり物件、欠陥住宅……失敗を繰り返した住宅遍歴

結婚後、転勤などで7軒の家に住んできて、その都度、ワケあり物件だったり欠陥住宅だったりと、散々な経験をされてきた京子さん。

【苦難続きだった住まいの変遷】
(1)『重要事項説明がなかった貸間』

22歳で高校教師の夫と結婚し、呉服店の2階の10畳間を間借り(下宿)。前の住人が肺結核であったことを家主から告げられないまま契約。入居後に判明し、消毒などの手間がかかった。当時の貸間は6畳の部屋が多いのに広い10畳間を借りられたのは、前の住人の件で誰も借り手が付かなかったためと分かる。立地は商店街で買い物が便利だったが、当時、京子さんは持病で安静にしなければならない中、生徒さんが夫を訪れてくることが多かったため、新しくできた教員住宅へ引越すことに。

(2)『手狭な2間のアパート』
夫の転勤で2間のアパートへ。数多くの蔵書、箪笥、ピアノを置いていたので、親子3人の暮らしには手狭だった。

(3)『毎日断水する集合住宅』
2人目のお子さんが生まれるのを機に、知人の家(集合住宅)を借りることに。間取りは5LDKで広かったが、丘の上の建物のため水道の給水力が弱く、毎日断水するなど不便な面があった。

(4)『2階が使えない欠陥中古住宅』
結婚後初めて家を購入。こぢんまりした中古住宅で外観や庭が気に入って決めたが、元々平屋だった建物に後から2階を増築した構造で耐震性がなく、地震でひどく揺れるため2階は使えないと入居後に判明。手抜き工事もあり、隙間風が入るなど寒くて暮らしにくい家だった。

(5)『トイレが使えない建売住宅』
東京オリンピックの翌年の1965年、夫の転勤で新築の建売住宅を購入。しかし入居後にトイレが使えない(汲み取りができない)家だと判明。汲み取り車のホースが届かない位置にトイレがあるという単純な設計ミスだった。区役所に陳情するも2カ月ほど汲み取りできない状態で、その間、夫は勤務先で、京子さんは駅まで走るという生活。区役所は販売した不動産会社に対し、設計ミスへの対応・補償をするようにと通達。

(6)『20年後床が抜けた建売住宅』
1975年ごろ、現在も住んでいる地に建てられた新築住宅を購入。部屋数が足りず、入居後に1部屋増築した。廊下に夫の蔵書3000冊が並ぶ書棚を置いていたところ、30年以上持つと言われていた家なのに20年で床が抜けてしまった。

(7)『設計通りでなかった注文住宅』
1998年、住んでいた建売住宅を建て替え。京子さんの考えた間取りで注文住宅を建てた。しかし、設計では1m幅のドアが付くはずが、65㎝幅のドアになってしまうなどずさんな施工管理が発覚。建築コストも割高で、断熱材の充填(じゅうてん)されていない箇所や、パッキン、配管に割れやヒビがあるなど、工事の手抜きや建材の劣化もその後判明。現在もその家に暮らす。

【画像2】専業主婦として家庭を守っていた30歳のころの京子さん(写真提供/和田京子不動産)

【画像2】専業主婦として家庭を守っていた30歳のころの京子さん(写真提供/和田京子不動産)

特に印象深いエピソードは10年間暮らした(5)の『トイレが使えない家』に関してです。
県外から転勤で引越しまでに時間がなく、夜物件を見に来て翌朝には帰らなければいけない状況で、ささっと外観を見た程度で契約してしまったのが失敗の大きな原因でした。
設計ミスの判明後、汲み取りについて区役所に相談したものの、親身になってはくれましたが、長いホースの導入予算がなく解決方法がありません。予算がつく翌年までは、窮余の策で汲み取る度にホースを1m継ぎ足してもらうことにしたそうです。

その後、区役所に言われてようやく不動産会社が「会社が用意した別の家に転居を」との提案をしてきました。しかし、当該の家を取り壊すのか改築するのかきちんとした説明もないという不遜な対応が京子さんの心に引っかかり、「またわたくしのような知識のない人に改築もせず売る気なのでは? だとすれば、こんな酷い経験を味わうのはわたくしだけでたくさん」と考え、転居の機会をきっぱり断ってしまったそうです。その後、結局トイレ位置の改築は行わず、少ない補償金は数軒で共有していた私道(雨の日は泥まみれになる)の舗装に使ったとか。そうした「自分のことより、困っている人に」という対応にも、周りの人を大切にする京子さんのお人柄が表れています。

「今思いますと、欠陥住宅に住むことになったのはわたくしに知識がなかったからというのがよく分かります」と話す京子さん。夫は、家のことは妻任せというタイプだったため、家の下見や契約など交渉ごとは主に京子さんがメインで進めたそうです。「交渉しても女性だからと足下を見られるようなこともありましたし、注文住宅の施工ミスのときは、建築中に現場にあまり行かなかったというのも失敗の一因です」。
昌俊さんも「祖母はお嬢様育ちでお金のことについては鷹揚な面があって、ドアの施工ミスの際はやり直させずそのままということがありました」と過去の失敗を振り返ります。

79歳の転機。宅建の資格取得で開業を目指す

京子さんが77歳のとき、療養中だった夫が他界したことで、10年もの間、昼夜を問わず介護にかかりきりだった生活が一変することになりました。その際は「これで自分の役割は終わった、いつ人生を終えてもいい」と心に穴が空いたように、何も手に付かない日々が続きました。

そんな毎日家に籠ってばかりいた京子さんを心配して、昌俊さんが「少しは何か習ってみれば」と手渡したのが宅地建物取引士(宅建)のテキストでした。
「もうね、渡された本をむさぼり読みました。知りたいことがたくさん書いてあって、わたくしのような素人が読んでも興味深い内容ばかりで」と京子さん。何度も転居して何度も失敗しているのに、一度も身につけようと思わなかった不動産の法律や知識が、水を吸う砂漠のごとくどんどんと脳に吸収されていきました。「その時初めて、自分はなんてばかだったのだろうと思いました。住宅購入という大きな買い物なのだから、もっと知識をもって臨むべきだったのに」と深く反省したそうです。

この時、昌俊さんが宅建の勉強を勧めたのは、京子さんが住宅購入で失敗した経験をかねてより聞いていたので、きちんと知識を得る機会をもったらいいのではと思ったからだそう。「それに、どうせ勉強するなら資格の取れるもののほうが、やりがいがあります。国家資格の中では宅建は開業へのハードルが一番低いだろうと思ったので、資格を取れたら会社を開業しようって、前向きな目標も提案しました」

ハードルが低いといっても、宅建は6人中5人が落ちるとされる難関。それにも関わらず京子さんは、独学と半年間の専門学校通いによって猛勉強し、勉強を始めてから2年目の秋に見事合格。この時79歳、日本女性最高齢での合格だったそうです。

【画像3】専門学校での祝賀会の様子。女性最高齢での宅建合格で表彰されました(写真提供/和田京子不動産)

【画像3】専門学校での祝賀会の様子。女性最高齢での宅建合格で表彰されました(写真提供/和田京子不動産)

宅建の合格発表を都庁へ見にいくまで、自己採点で落ちたと思っていた京子さん。自分の受験番号と名前を目にしたときは見間違いと思ったくらい驚いたそう。「でも都庁の展望台から都内の風景を見下ろしていたとき、ここから見えるたくさんの家やビルがこれからのわたくしの商売相手、こんな広い世界が待っているんだわと胸が躍りました。まるで自分に翼が生えたような気がしたんです」と微笑みます。

一度も就業経験のない京子さんでしたが、こうして資格取得を目指していくにつれ、「今まで一度も自分で稼いだことのない自分が自立して生きていける、自分の経験が誰かの役に立つ、そうしたことが何物にも代え難い」と、自然と不動産業をスタートさせることに気持ちが固まっていったそうです……。

次回は、いよいよ開業!80歳の就職未経験者のおばあちゃんが顧客対応・会社経営者として奮起する様子をご紹介します。

●取材協力
和田京子不動産
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