果たして、江戸時代の人々はどんな暮らしをしていたのか。そして、現代の住まいや暮らしに活かせるヒントとは何だろうか。
調べてみると、日本に洋傘が初めて伝来したのは1804年の長崎。おお、これも江戸後期だ。
イベントが始まった。まずは、日本文化デザインフォーラム理事長でソシアルプロデューサーの水野誠一さんが登壇。
水野さんの話では、江戸時代はエコロジーへの意識も高く、紙や布は何度もリサイクルされ、ゴミ処理も1662年の時点で永代島(現在の江東区永代)の埋め立て工事を始めたというからすごい。
「江戸文化」とはすなわち「循環の価値観」であり、「因果(原因と結果)」を検証しながら物事を決めていく方法だった。また、この思想を失った近代日本人は勝ち負けにこだわる「欧米依存型」になってしまい、目先の利益のために文化や自然を壊すことに抵抗がなくなった。
さらに、仕事に関しても社会全体が潤うことで自分も潤うという考え方が浸透しており、共同体優先の先進的なボランティア社会を実現していたそうだ。
20世紀のツケが回ってきた今だからこそ、江戸の知恵が必要だと水野さんは言う。例えば、エアコンの外部放熱でヒートアイランド化する流れを断ち切り、打ち水、ゴーヤカーテン、行水などで暑さをしのぐことで、再び地球が冷やされるという指摘もあった。
続いて、淑徳大学客員教授で江戸東京博物館名誉研究員の小澤弘さん。テーマは「都市『江戸』のエコロジカルな生活」。
江戸時代は武家も町人も一様に簡素な生活を送っていたという。当然エアコンなどはないので、うちわの年間消費量が200万本だったとか。人口が100万人の時代に、である。
また、くずを拾ってリサイクルしたり、大根を干して漬物にするなど、エコロジカルな生活だった。
とくにお祭りのときでなくとも、往来には屋台や仕出し屋が並び、ずいぶんにぎやかだったに違いない。ちなみに、食べ物屋のフラッグは青と決まっており、当時から「サイン計画」が進んでいたことになる。
その他、各界の識者が順に登壇し、プログラムは進行する。その合間にロビーに出ると、小さな江戸が再現されていた。
紋章上絵師とは家紋を墨と筆で描く職人のこと。波戸場さんは代々受け継がれてきた数万種類にも及ぶ家紋を再構築し、家紋とプロダクトデザインの橋渡し的な仕事をしている。
彼いわく、庶民に家紋が広がったのは江戸時代で、ひいきの歌舞伎役者の家紋を自分の家の家紋に使っていたそうだ。何とピースフルな時代だ。
また、片隅ではお茶会が開かれていた。
もともと、茶の湯文化は大名や豪商などのごく限られた人々のものだったが、江戸中期に裕福になった町人階級にも広まったという。
さらに、あめ細工の屋台も出ていた。
マーケティングコンサルタントの谷口正和さんが、屋台について講演で触れていた。それによれば、江戸時代の屋台は今でいう「ベンチャー」で、街に活気を与えていたそうだ。
現在、800万戸以上の空き家があり、シャッター通り商店街も多いが、こうした屋台やリヤカーを導入して成功した地方の商店街もあるという。
ほかにも、「地産地消は当たり前の感覚」「日本は湿度が高いので風が吹き抜ける紙と木だけの建築」「欧州の近代思想の前に江戸の自然思想があった」など、江戸時代には現代にも取り入れるべき暮らし、思想が多々あったことをあらためて感じた。