「サプライズ」決定の裏側 沖縄サミット


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山本章子氏(沖縄国際大非常勤講師)

◆急ぐ米、追い風活用/文書を入手した山本章子氏(沖縄国際大非常勤講師)
 1999年4月29日、訪米直前の小渕恵三首相は、2000年7月に日本で開催されるサミットの会場を沖縄に決定した。当時のメディアは米軍基地が集中する沖縄での開催に米国は反対だと報じた。だが今回入手した米政府文書によれば、事実は異なった。
 日米首脳会談用に国務省が作成したクリントン大統領宛ての説明メモでは、前年11月の沖縄知事選での稲嶺恵一氏当選に加え、沖縄サミットの「サプライズ」決定で、普天間飛行場の県内移設が前進することが期待されていた。大統領が小渕首相に今後2、3カ月が「正念場」であると理解させ、移設実現へ向けて首相が個人的に関与するよう迫ることを求めていた。
 96年4月12日に日米両政府が発表した普天間返還合意は、5~7年以内の代替施設の完成が条件となっていた。97年から2期目に入ったクリントン政権は、その道筋を付けるために、4年後の任期終了までに代替施設建設の着工にこぎ着けたかった。
 そこで同政権は、小渕氏と稲嶺氏の個人的パイプに着目する。小渕氏は自民党参院議員も務めた琉球石油(当時)社長の稲嶺一郎氏と若いころから親しく、息子の恵一氏とも知事就任以前から交流があった。移設協議を円滑に進めるため、小渕氏と稲嶺氏との信頼関係に望みが託されたのだろう。
 99年7月、コーエン米国防長官が、移設候補地を年内に決定するスケジュールを日本側に提示。米側は同年中に移設実現のめどを付け、翌年の沖縄サミットで日米同盟の緊密さを対外的にPRしようとも考えていた。
 そして同年末、稲嶺氏と岸本健男名護市長が、条件付きで辺野古沿岸域への代替施設受け入れを表明した。
 任期を目前に実績を欲したクリントン政権は、沖縄サミットの「歓迎ムード」を追い風に、沖縄が求める移設「条件」の協議は先送りし、建設着工を急いでいたと言える。
(談、国際政治史)

<サミット文書 要旨>
 小渕恵三首相との会談に向けたクリントン大統領へのメモ
【重要事項】
●2国間の親密な関係を再確認し、小渕氏の先月のワシントン訪問の成功、朝鮮半島エネルギー開発機構への出資、日米防衛協力のための新指針(ガイドライン)関連法の成立、北朝鮮とインドネシアに関する親密な協力を強調する。
●2000年のG8首脳サミットの会場に沖縄を選んだことを歓迎する。同時に両国でSACO(日米特別行動委員会)問題、とりわけ米海兵隊普天間飛行場の移設の前進に関して集中的に取り組むよう促す。日本の思いやり予算が地域の安全に重要な役割を果たしていることを強調する。
●引き続き地域の問題、とりわけコソボ、朝鮮半島、中国に関して協力を継続することを促す。
●日本国内の強い需要主導型の経済成長と、貿易摩擦を軽減する重要性を強調する。さらなる構造改革と規制緩和、市場開放を促す。
 (中略)
 小渕氏が2000年7月のG8サミット開催地を沖縄にサプライズ決定したことを日本の世論は好意的に受け止め、沖縄でも広く喜ばれている。サミットと、去った11月の県知事選で新たな知事が誕生したことは沖縄の基地問題、特に普天間飛行場を前進させる機会となり得る。
 小渕氏に対して、今後数カ月が重要だと明確にし、この過程を結論に導くための個人的関与を促すべきだ。来年は世界中の注目が沖縄に集まり、米国としてはわれわれの安全保障関係が非常に前向きであることを示す必要があることを伝えてもいいだろう。