若年者から高齢者まで含めると、この国にはおよそ200万人の引きこもりがいるとNHKで報道されていました。
私もその中のひとりです。
勿論、様々な理由があるでしょう。
「障害」「病気」「家庭事情」などの困難によって家に引きこもらざるを得ない方もいます。
当然、私のような「特に体に困難はない」けれど外に出られなくなっている人もいると思います。
その様な、「特に体に困難はない」人々はどうしてその様な状況になってしまうのか。
「きっかけ」は人それぞれ異なると思います。
10人いれば10通りの、100人いれば100通りの「きっかけ」があると思うのです。
しかし、「今、外に出られない理由」は同じだと思います。
少なくとも私の場合は、
「外に出られない理由」は「外に出られない」からでした。
ドアの前に立つと、息切れがする。
ドアの前に立つと、動悸がする。
勇気を出して外に出ると、周りの人間全員が自分を見てる気がする。
周りの人間全員が自分をバカにしてる気がする。
スーパーの中に入ると、人ごみの中で気持ちが悪くなる。
早く買い物を終わらせようと前に進むと、視界が狭くなり倒れそうになる。
アルバイトをしなければと思い、求人サイトに目を通す。
電話番号を確認して、自分で作った「アルバイト応募の電話用セリフ台本」を用意する。
電話を手に取ると、手が震える。
番号を9ケタ入力したところで腹痛に襲われる。
トイレに駆け込み「また、明日にしよう」とまた逃げる。
それでも、勇気をもって電話する。
こもった声で面接の日取りを決める。
当日、万が一にも遅れないように早めに家を出る。
電車の中でお腹をさすりながら、目的の駅でトイレに駆け込む。
面接先のお店の近くで30分ほど待機する。
面接が始まると頭が真っ白になる。
声が震える、どもる、小さくなる。
「すいません、何て言いました?」と聞き返される。
更にパニックになる。
毎回ではありませんが、
帰りの電車を待つ間に吐き気を催し、またトイレに駆け込むこともありました。
勿論、面接は落選です。
当然です。不満すらありません。
もし、自分が面接官でもそんなヤツ雇いません。
しかし、だからと言ってこのままでいいハズがありません。
外に出られない人間が外に出られる様になるには、外に慣れなくてはいけません。
そして、外に慣れるには外にでなければいけません。
しかし、我々とドアとの間には厚い、高い「カベ」が存在するのです。
目には見えませんが、確かに存在するのです。
勿論、勇気を出せば外へは出られるでしょう。
ですが、それには「きっかけ」が必要なのです。
我々にとってドアの向こうは海外です。
海外旅行には、国内旅行と比べて少し勇気がいります。
それと同じように、あるいはそれ以上に勇気を必要とするのです。
「たかがドア」という意見はもっともだと思います。
まさしく正論だと思います。
しかし、背の小さい、足の短い人間にとって普通のハードルはとても困難な障害物になるのです。
では、政府が行う政策としてはどのようなものを作ればいいのか。
一人の経験者として、当事者として、あえて提言するならば、
「職人の後継者不足問題」というものがあります。
歴史的、伝統的な産業に技術の伝承者が足りなくなってきているという問題です。
その後継者に、我々が応募出来るようなプログラムを作るのです、
「職人」というと、一般には、
・世間とコミュニケーションをあまりとらず
・一人でコツコツと
・凄いモノを作る=尊敬される(社会的地位が高い)
という印象があるとおもいます。
勿論、実際は違うでしょう。
職人自ら営業をしなければならないこともあるでしょうし、
組合などと連絡を密に取り合わなければならないかもしれません。
凄いモノを作っても売れないかもしれません、売れなければ貧乏になってしまいます。
しかし、「きっかけ」にはなると思うのです。
「甘いミツ」でおびき出す様な感じでチクリとはしますが、慣れることが重要なのです。
ただし、そんなに気軽に来られて現実を見たとたん逃げ出されても職人の方に迷惑なので、
そこらへんのプログラムはしっかり作る必要はあると思います。
僕は、アルバイトを経験して大分マシにはなりました。
(バネの様にまた少し元に戻ってしまいましたが)
私が、伝えたいことは、
外にでられない人間が外に出られる様になるには、「慣れ」が必要だという事。
そして、その為の「きっかけ」の提供が重要なんだという事です。
クソみたいな私のクソみたいな経験が、この国の役に立てれば幸いです。