歴史ある同潤会アパートで最後まで現存していた「上野下アパート」のマンション建替組合が正式に設立し、これから建て替えが本格的に始まることになる。同潤会アパートとは何か、どういった役割を果たしてきたのかについて考えてみたい。
大正12年9月1日に発生した関東大震災。地震の揺れによる被害もさることながら、地震に起因して発生した火災により被害は拡大し、首都圏は甚大な被害を受けた。諸外国から寄せられた義援金の一部を基金として、震災後の復興策としての住宅供給を目的に、翌年5月に財団法人同潤会が設立された。
同潤会は、当初は被災者用の応急仮設住宅などの建設を行っていたが、都市における集合住宅のあり方を探求し、中産階級向けなどの住宅供給事業を中心に、各種の調査研究等も行っていた。昭和16年に住宅営団が誕生すると、同潤会はこれに事業を引き継ぎ解散した。終戦後の昭和21年に住宅営団が解散すると、住宅営団管理下の住宅の払い下げが始まる。
これら同潤会が行ってきた事業のなかでも、大正15年から昭和9年までの間に誕生させた、東京で14カ所、横浜で2カ所の「同潤会アパート」は、日本の集合住宅の歴史に大きな足跡を残した。不燃の鉄筋コンクリート造による集合住宅の先進事例であるだけでなく、居住者への配慮が行き届いた設計により、和洋室併置の多様な間取り、エレベーターや水洗トイレ、ダストシュートなどの最先端設備の採用、中庭や社交室などの共用設備の充実、デザイン性の高さなどで今も高く評価されている。
同潤会アパートは、住宅営団解散後に直接あるいは東京都の管理を経て、居住者や居住者組合などに売却され、メンテナンス等が行われてきた。しかし、建築後60~80年を経過し、建物の老朽化や安全性、住宅設備の老朽化や機能不足、居住面積の不足などさまざまな問題から、同潤会アパートは次々に建て替えられることになる。同潤会アパート第1号となる中之郷アパートが建て替えられ、平成2年にセトル中之郷として生まれ変わったことに始まり、よく知られたところでは、代官山アパートが複合施設の「代官山アドレス」に、青山アパートは商業施設の「表参道ヒルズ」に建て替えられている。
そして、現存する同潤会アパート最後となる「上野下アパート」も、建て替えが本格的に動き出すことになる。
唯一現存する同潤会「上野下アパート」は、昭和4年に竣工された。以来83年が経過し、建物の老朽化や建物の構造の安全性・防災性に対する不安、住戸面積の狭小さ、住宅設備の旧式化・劣化等により、建て替えが継続的に要望されていた。上野下アパート団地管理組合は、区分所有者を中心に建て替えの検討を進め、平成23年3月にUG都市建築をコンサルタントに選定し、10月には三菱地所レジデンスを事業協力者として選定し、今年の4月に建替え決議が成立。10月9日には「マンションの建替えの円滑化等に関する法律」に基づくマンション建替組合の設立が台東区長より認可された。今後は、平成25年5月に解体工事に着手し、平成27年3月に竣工する予定。
建替組合の設立に伴い参加組合員となった三菱地所レジデンスによると、地上4階建ての2棟構成の建物を、地上14階建て1棟の鉄筋コンクリート造りの建物に建て替え、総延べ床面積は約2000㎡だったものを、4倍の約8400㎡に増床する計画だという。それに伴い、住戸の専有面積も約15~39㎡だったものを約25~74㎡へと広げ、住宅戸数は以前の71戸から128戸へと増える予定。余剰戸数分については販売を行うという。
詳しい建て替え計画については、今後マンション建替組合で詰めていくというが、三菱地所広報部によると「再建マンションにおいては、同潤会アパートの歴史を継承するような意匠面での工夫をしつつ、区分所有者の皆様のご意向を尊重しながら、居住環境の改善や地域の防災面の強化に協力していきたい」ということだ。
具体的には、建物の安全性を高めるために制震構造を採用し、バリアフリー設計にすること、災害対策として、居住者用の防災備蓄倉庫のほか、非常時の生活用水確保のための井戸、炊き出し用のかまどベンチ等を設置し、居住者のみならず地域の災害対策にも配慮することなどが考えられている。
※「上野下アパート」の建て替え前の面積については公簿面積による。
※写真は「上野下アパート」現況 (写真提供:三菱地所レジデンス)
※同潤会アパートについては、平成12年9月3日発行の雑誌「東京人」や日本不動産ジャーナリスト会議における村上美奈子氏の講演内容、同潤会に関する各種調査論文等を参考にした。