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やまくみさん正方形
山本 久美子
2013年11月9日 (土)

同潤会江古田分譲住宅に見る 昭和初期の一戸建てと暮らし

旧同潤会江古田分譲住宅佐々木邸外観

同潤会の木造戸建て分譲住宅が、創建時の姿を残して保存されている。それが、練馬区の江古田分譲住宅地の一角にある「佐々木邸」だ。登録有形文化財に認定されており、原則は非公開だが、「江古田ユニバース2013」(江古田をアートにしようというイベント)の関連企画として、見学できると聞いて訪れた。

同潤会江古田分譲住宅とは?

同潤会と言えば、鉄筋コンクリートの共同住宅「同潤会アパート」がすぐに思い浮かぶ。同潤会は、関東大震災後の復興策として中産階級向けの住宅供給事業などを行い、その先進性が今も高く評価されている。しかし、同潤会アパートの老朽化により、今では代官山アドレスや表参道ヒルズといった近代的な建築物に建て替えられ、最後まで残っていた「上野下アパート」の建て替えも進行中だ。
(同潤会アパートについては、筆者の『同潤会「上野下アパート」のマンション建替組合設立が認可。計画内容は?』を参照ください)

しかし、同潤会は、アパートメント事業だけでなく、東京の郊外に分譲地を開発し、木造分譲住宅事業も行っていた。1928年に始まり、東京・横浜地区で20カ所、計524戸の住宅が分譲されたという。しかし、今もその姿を残している住宅がほとんどないため、「佐々木邸」は貴重な歴史的木造住宅になっている。

1934年に分譲された江古田分譲住宅は、長方形の約3500坪の土地を南北に5分割、東西に5~7分割した30棟で構成されている。角地にある佐々木邸は、その中でも広い150坪の土地に、45坪の木造平屋住宅が建てられている。

洋間や中廊下・広縁のある和風住宅の佐々木邸

さて見学会では、初代当主の孫にあたる方々がガイドを務め、住宅だけでなく、当時の生活スタイルについても案内をしてくださった。まず、広い玄関から入ると玄関広間があり、玄関広間の左には使用人部屋が、右には洋間の応接室がある。当時は、玄関から入るのは当主と来客のみで、家族は勝手口から入っていたという。来客は、洋室の応接室兼書斎に通され、大学教授だった当主と面談したようだ。

アールデコ風にデザインされた洋間は、床にフローリングを貼り、天井には木質コルク風の建材(資料によると当時の新建材であるフジテックスとある)が凹凸をつけて貼られている。室内の応接セットも、当時デパートで購入したものがそのまま使われているそうだ。こうした洋間が設けられている点が、佐々木邸の第一の特徴だ。

同潤会江古田分譲住宅に見る 昭和初期の一戸建てと暮らし

【画像1】 応接室兼書斎として使われたアールデコ風の洋間

また、玄関広間から直接奥の茶の間に行けるように、中廊下が伸びている。この点が第二の特徴だ。昔の住宅には廊下がなく、居室を通って別の居室に移動していた。中廊下があることで、プライベートな茶の間の空間に直接行くことができるようになっている。中廊下の北側には、台所や当時は五右衛門風呂だった浴室、便所が配置されている。

次に、庭に面した南側に、同潤会のデザインの特徴でもある広縁がある点が第三の特徴。この広縁と一体となるように、床の間と違い棚がある8畳の客間が配されており、奥にある茶の間と居間とは、独立性が保たれながら連続性が失われないように設計されている。

同潤会江古田分譲住宅に見る 昭和初期の一戸建てと暮らし

【画像2】 左が玄関広間から見た中廊下。照明のスイッチも当時のまま。右が洋間から見た庭に面した広縁

同潤会江古田分譲住宅に見る 昭和初期の一戸建てと暮らし

【画像3】 左:床の間と違い棚がある客間は、当主夫妻の寝室としても使われていた。右:6畳の居間は、当時は子ども部屋になっていたという

同潤会江古田分譲住宅に見る 昭和初期の一戸建てと暮らし

【画像4】 庭から見た佐々木邸外観。奥が増築部分

茶室と居間までが当時の同潤会で建築された部分で、2010年に登録有形文化財に認定されている。当主家族はすぐには入居せず、故郷から親族を呼び寄せるために、購入後に住宅の東側に和室3室を増築した。この増築部分も、当時の姿をよく残している。

同潤会が供給する住宅は、当時の最先端の建築技術や設計の考え方が活かされている。電気やガス、上水道が完備され、台所にはつくり付けの食器戸棚や流し、ガス台、調理台、床下収納を設置するなど、使い勝手がよい設計になっている。こうしたデザイン性と機能性を兼ね備えた、同潤会の戸建て木造分譲住宅を知ることができる住宅遺構として、佐々木邸は貴重な存在となっている。

また、一時代前の中産階級の暮らしを知るという点でも、佐々木邸を中心とする江古田分譲住宅は貴重な存在だ。「江古田分譲住宅は核家族を基本とする住宅の設計になっていて、そうした新しい時代の中産階級の人たちが、子ども会や俳句の会などを通じてコミュニティを形成していました」。こうしたコミュニティが、良好な住宅地を存続していくことに一役買っているだろうと、当主の孫にあたる能登路雅子さんは指摘する。

能登路さんは「旧同潤会江古田分譲住宅佐々木邸保存会」の代表でもある。戦争による被災や大規模な増改築、建て替えから免れ、当時の姿を残す佐々木邸は、貴重な文化財だ。しかし、その姿を今後も維持し、後世に伝えるためには、家族はもちろん、公的な支援や専門家の助言、地域住民の協力などの衆知を集める必要があるだろう。保存会によって佐々木邸が保存され、地域振興や国際交流などに有効活用されることを期待したい。

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