「怪談牡丹燈籠」は、「四谷怪談」や「番町皿屋敷」(「播州皿屋敷」等もある)と並び日本三大怪談とされている有名な怪談話。名人三遊亭圓朝(さんゆうていえんちょう)の長編落語だ。どんな内容か簡単に紹介しよう。
カラン、コロンと駒下駄の音をさせて夜な夜な訪ねてくるのは、実は幽霊。足元を照らす牡丹燈籠(ぼたんどうろう)を下げた女中(乳母)のお米を伴って、恋しい萩原新三郎の家に通うお露だ。お露は、新三郎に恋い焦がれて死んでしまうが、後を追った女中のお米とともに幽霊になり、新三郎のもとに通う。しかし、お露が幽霊であると知った新三郎は、幽霊封じのお札を家の周りに貼り、小さな金の仏像を身につける。
これで新三郎に会えなくなったため、お露とお米は新三郎の下男の伴蔵にお札はがしを頼む。伴蔵はそんなことはできないと拒むが、そのことを知った伴蔵の妻・お峰が、百両くれれば請け負うと言えばよいと伴蔵をそそのかす。幽霊がどう工面したものか百両を持ってきたので、伴蔵とお峰は新三郎の仏像を盗み、お札をはがしたので、お露たちは新三郎の家の中に入って対面し、新三郎ともどもあの世へ去っていく。
というのが、よく知られた話。この後、百両を元手に商売で成功する伴蔵だが、お峰を殺す羽目になり、悪事がばれて召し取られることになる。
実はお露と新三郎の悲話は長編落語の一部分。圓朝はお露と新三郎の悲話に加え、お露の父・飯島平左衛門と妾(めかけ)・お国、平左衛門が仕方なく殺めた浪人の息子で今は主従関係にある・孝助、新三郎が幽霊に取り殺される原因をつくった伴蔵とお峰夫婦を登場させ、因縁が絡み合う落語に仕立てている。中国の「牡丹燈記」がその原話とされており、評判になった落語は、歌舞伎にも取り入れられ、今でも落語や歌舞伎で人気の演目となっている。
さて、冒頭の浮世絵は「文月」を描いたもの。文月とは旧暦七月の別名で、浮世絵には盆踊りの様子が描かれている。上から下がっているのが切子灯籠(四隅を切った装飾的な灯籠)だ。
江戸時代は旧暦七月十三日が盆の入りとされ、祖先の霊を迎えた。盆棚をつくってその上に、祖先の霊の乗り物とされる牛や馬を野菜でつくって飾るなどした。また、特に新盆(にいぼん)は念入りに供養の行事が行われ、盆灯籠を灯したりしたようだ。十五日の中元を経て、十六日に送り火を焚いて祖先の霊を送り返した。
お盆の行事は正月と並ぶ重要な行事だったので、江戸時代は「盆市」が立って盆行事の品々が売られたり、「灯籠売り」が盆提灯や灯籠を売り歩いたりしたという。
お盆には盆踊りがつきもの。本来は祖先の霊のために踊るものだが、江戸時代には今のように庶民の娯楽という側面が強くなってきたようだ。祖先の霊が下りてくる目印になる切子灯籠の下で、盆踊りを踊る女性たちは、いかにも楽しそうだ。
さて、お露が恋しい新三郎のもとに現れたのは、お盆(新盆)だったからだ。牡丹燈籠は、お露を迎えるための盆灯籠であったのだろう。それが夜道の足元を照らす提灯のように使われて、最後にお露の霊は新三郎を伴ってあの世へと去ってしまった。
今の時代も江戸時代と同じように、夏にはゾクッとする幽霊が出る怪談が好まれる。日本人の幽霊好きは、お盆に祖先の霊を迎えるという文化的な背景があるからだろう。2015年の夏も、落語や歌舞伎で牡丹燈籠がかかっている。