曹長青評論邦訳集  正気歌(せいきのうた)

かわいそうなスーザン・ソンタグ
原題:「可悲的桑塔格」

『開放』2005年2月号ほか掲載
(邦訳 2005/2/8)



 
米国の女性作家・評論家のスーザン・ソンタグが死んだ。彼女の死は米国の世論に両極端の反応を生んだ。左派の旗頭というべき『ニューヨーク・タイムズ』紙は第一面で紙面の半分を割いて長文の訃報を載せて彼女の写真3枚を配した。そのうちの1枚はインド洋大津波の救援活動のそれよりも大きかった。中道左派の『ワシントン・ポスト』紙も長文の訃報を掲載したが、載せた写真の大きさを「毛沢東なみの扱い」と皮肉られた。ちなみに同紙は、ソンタグを「偶像」「生ける記念碑」と賞賛している。  
  だが保守系のメディアではまったく黙殺したところすらあった。批判することすらある意味彼女を持ち上げることになるからである。それに批判の文章ならそれまでに山なすほどに書かれているからだ。例えば作家のストロム(K. A. Strom)は、「
後世ソンタグを悪名高い自画自賛の徒、白人と西洋文明を憎悪したユダヤ人として永く記憶するだろう。とりあえずのところは、自由世界に寄生した一個のガン細胞として記憶されるだろう」と結論している。  
  米国の知識人社会でソンタグほど評価が極端に分かれる例は少ない。ほかにあるとすれば、これもまた悪名高い反米主義者の言語学者、ノーム・チョムスキーであろう。それにもう一人、先頃世を去ったエドワード・W・サイードコロンビア大学教授である。  
  彼等に共通するのは、有名になったのは自分の専門分野においてではないという点である。ソンタグは小説と評論集数冊出版しただけである。しかも左派系のメディアでもてはやされただけで、一般大衆の間ではまったく人気がない。数年前に彼女が全米図書賞を受賞したのは、長年の癌との闘病生活でもうあまり長くないというのが理由であって、彼女の文学作品そのものへの評価によるものではない。サイードは自分の本業であるところの比較文学においては、何の傑出した業績も挙げていない。チョムスキーが有名になったのは言語研究によるものではなかった。彼等三名の重要な“功績”とは何かと言えば、反米主義と反西洋主義が強烈かつ激烈であったことである。この故に左派のメディアが持ち上げ、誉めそやしたのであり、この故に西側、とくに第三世界の専制国家の知識人社会で、名声を獲得したのである。
   
  ソンタグの一生は、西洋文明に反対することと、白人と米国を憎悪することに尽きている。  
  彼女によれば、白人とは “純粋な悪(pure evil)” であり、白人という人種とその白人によって創造された文明は、人類全体にとっての災難である。ソンタグは、「西洋はモーツァルトやシェークスピアやカントやニュートンや、議会政治や、バロック洋式の礼拝堂やバレーを、そして女性の解放を生みだしたかもしれないが、この文明が世界を破壊するのを止めることはできない。白色人種は人類歴史における癌であり、その思考形態をもって発明・創造された白人文明のあるところ、真の文明は消滅してしまうのだ。白人文明は地球の生態系のバランスを破壊し、私たちの生存を脅かす」とまで極言した。  
  ここからわかるように、ソンタグは血や民族で人類を区別する典型的な人種差別主義者である。  
  彼女は白人を人類の癌だと攻撃した。しかし彼女自身白人である。黒人歌手のマイケル・ジャクソンのように皮膚の色を変えてもいないし、自殺(自分という癌細胞を切除)することもしなかった。彼女の友人の多くは白人である(その中には彼女同様狂的な左派のユダヤ人映画監督、ウッディ・アレンも含まれる)。彼女の死後、米国の三大紙に寄せられた追悼文のほとんどは、彼女のユダヤ人、つまり白人の友人たちによるものだった。  
  これはまさに西側の左派に通底している虚偽であるが、ソンタグは西洋文明を攻撃しながら自身は第三世界へは移住しなかったし、ハーレムに住みつきもしなかった。摩天楼の林立するマンハッタンのマンションに居を構えて西洋の最先端の物質と文明を享受し、フランスワインを飲んでブロードウェイ・ミュージカルを楽しんだ。  
  彼女は、自分がマンハッタンに住んでいることについて、ここには外国からの移民が多いからと説明していた。真っ赤な嘘、そのこじつけには吐き気を催すほどだ。ソンタグの住んでいた界隈にどれだけ移民がいるというのか。あそこのマジョリティーは白人である。それから、ソンタグのような、西洋文明に安住し人類の持つ最も自由な社会と最も豊かな物質的繁栄を享受しながら西洋を憎悪している、偽善者だ。  
  ソンタグは、米国と西洋文明を強烈に嫌悪し誹謗すると同時に共産社会に共感し賛美した。彼女は1970年にハバナを訪れ、「キューバ全体は良い意味での高速運動の過程にあり」、キューバ経済は「大きな飛躍の段階にある」とキューバを賛美した。しかし彼女はキューバの収容所で迫害されている人民には見て見ぬふりをした。  
  1960年代のソンタグは、ベトナム戦争に反対するだけでなく、実際にハノイへ詣でて、「愛が人と人の間を結び付けて社会にしている。あの地の人民と一党制の関係が非人道的と呼ばれるのは間違っている」と、北ベトナムを誉め称えた。戦争が終結した時には、「(東南アジアの民衆は)米国という虐殺マシーンから解放された」と語った。  
  「人々はベトナム民主共和国とベトナム共産党の勝利を喜んでいる。しかし(戦争終結によって)米国の反戦運動が勢いを失うことがすこし悲しい」  
  戦争に反対しながら戦争が終わることを悲しむ。ここに彼女の反戦は口実で本質は反米運動であったことが、率直かつ正直に語られている。
 
   「ソンタグは真理というものにまったく関心がなく、高度な思弁能力も持っていなかった。彼女にあったのは熱狂的なイデオロギーだけである。彼女は嘘を平気でつき、誠実さに欠け、道徳観念というものがなく、自分も含めて他人を欺いた」  
  と、ユーゴスラビア出身の米国作家スルジャ・トリフコヴィッチ(Srdja Trifkovic)は、ある文章で評している。  
  ソンタグのような左派は資本主義をひどく憎んでいる。「米国は一個の癌のような社会である。洪水のようなあふれんばかりに大量の物資を抱え、有り余るエネルギーを蓄え、ひたすら膨張を指向し」云々などと考え、物質文明に反感を持つと同時に宗教信仰、キリスト教をも嫌悪する。それは彼等が貧富の格差がない共産主義のユートピアを仰望しているからである。だから米国の資本主義や西洋文明は一から十まで気に入らない。  
  かくのごとき人類全体の重大事について、彼ら西洋の左派、例えばソンタグが、かくのごとく愚昧なのはどういうわけだろう。『1984年』のジョージ・オーウェル曰く、「非常に誤った考え方を、非常に知的水準が高いとされる人間だけが信じる」。ソンタグは修士号を二つ持っている。博士課程にも進んだ(もっとも論文は書いていない)。大変な読書家で、蔵書は15,000冊もあるとのことだ。だが英国の『デイリー・テレグラフ』紙の言葉に従えば、「基本的な常識を欠いた知性はいくら高くても無価値であることを証明したのがソンタグである」ということになる。  
  1950年代から60年代にかけての米国で共産ソ連の体制にあこがれた人間にはユダヤ系のインテリが多かった。現在の米国でブッシュ大統領の先制攻撃戦略を支持する、いわゆるネオ・コンサーバティブの主要な人間には、この時期にトロツキーを支持していたユダヤ系知識人が多い。彼らが最終的には人類にとって邪悪とは何かを本質的に認識できるようになったのは幸いである。  
  1980年代に入ると、ソンタグは新たな認識の地平線を開くことになる。自分は共産主義の残虐さを軽視していた、真実を蔑ろにしていたとして、共産主義はヒューマニズムの仮面をかぶったファシズムだと言うようになる。だが彼女は共産主義の邪悪さが奈辺にあるのかという本質的な問題を考えることができなかっため、米国を成り立たせる価値観を攻撃するという彼女の立場はほとんど変化しなかった。結局、彼女はイスラム世界とアラファト一党へと「理想」を取り換えるだけに終わる。彼女にとって、今度はイスラム世界がまったき善となり、キリスト教文明が呪われるべき対象となった。コソボ紛争で彼女は米国の軍事干渉を呼びかけ(この時は全然反戦ではなかった)、B52によるユーゴスラビア爆撃を支持し、ボスニアのムスリムが撮った映画に駆けつけた。ところがイラク戦争においては戦争
絶対反対の立場を取る。イスラム教徒の“虐殺”だからという理由だった。そしてテロリストが旅客機をハイジャックして世界貿易センタービルに突っ込むと、彼女は、犠牲となった関係のない市民に対して哀悼の意を示さず、自分の住んでいる都市が莫大な被害と損失を蒙ったことにも頓着することなく、反対に自業自得だと米国を非難し、「彼らは臆病者ではない」と、テロリストを弁護する文章を書いた。  
  勇敢とは正しいことを恐れずに行うことであろう。しかしソンタグにおいては道徳的側面は要求されない。自分の目標を果敢に達成すればそれで勇敢ということになるのである。この論理に従えばナチの毒ガス室もハマスの自爆テロもすべて勇敢と呼べる。   
  さらにこの論理に従えば、ソンタグ本人も勇敢と呼ぶに値しよう。彼女は反米、反白人、反キリスト教文明だった。17才の時にあるユダヤ人の教師と出会ってわずか8日で結婚し、8年一緒に暮らし、一児をもうけてから離婚した。40才になるとこんどは同性愛者となり、某ユダヤ人写真家と30年間にわたって愛人関係を続けた。そして晩年に書いた『イン・アメリカ』という歴史小説では12か所、他人の著書から盗作した。

 
ソンタグは三つの癌に冒されていた。三十年にわたってこの病気と闘いつづけた彼女の精神の強靱さは敬服に値する。  
  彼女は白人を人類の癌だと言った。彼女の生涯について、先に紹介した評論家のストロムは、ならばソンタグ本人は米国社会の癌だったと言うべきだろうと総括している。癌細胞は外見上は正常な細胞に極めて類似し、人間の体内に寄生して栄養を吸収しながら身体を損なっていく。癌は身体に感謝することなどないし、身体のもつ価値に寄与することもない。この種の細菌が増えると人間はそのために死んでしまう。だから癌細胞は大きくならないように成長を抑制されねばならない。  
  ソンタグのような細菌同様の輩が存在できるのは、米国が自由な社会で、明らかに間違っている言論でも禁止されたりはしないからである。ところがソンタグはその言論の自由につけこんだ。その結果、おびただしい数の米国の若者に害毒を流した。彼女は彼らの人生行路における選択を惑わせたのである。それからソンタグが、そしてチョムスキー、サイードもだが、彼等がもたらしたいまひとつの害毒は、彼らの反米、反白人の言論が、第三世界の独裁政権や共産政権およびその御用知識人が米国が代表する自由の価値を攻撃する際の“武器”となったことだ。  
  ソンタグは典型的なエセ知識人である。彼女の代表した米国大衆や歴史の潮流は、いまや揚棄されつつある価値である。ソンタグや『ニューヨーク・タイムズ』の常識に反した“知識人主義”は衰退に向かっている。9.11テロの後、米国で高揚してきたキリスト教文明の伝統的な価値観や、この度の大統領選挙において広く認められた“道徳”への関心は、米国社会が癌細胞に対して抑制を加えていること、健康な細胞がやはり主体を占めていることを示した。米国と自由世界にとっての幸いである。ソンタグは、まさにユーゴスラビア系米国人作家トリフコヴィッチが言ったとおり、「彼女はアメリカ人が知識人というものを軽蔑するよう、おのれの身をもって範をたれた」のだった。                                                             
2005年1月22日執筆
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