喪中というのは悲しみに沈んで日常生活もままなら無い状況を言います。つまり自分が生活を楽しむ気になれない状況です。
ですから「喪中だから行ってはいけない」のではなく「喪中だから行く気にならない」というのが正しい感情です。
「御参りに行きたい」という感情が出ているということは既に喪中ではない事になります。
春先に亡くなって、入学祝だ、誕生会だ、旅行だ、花見だ宴会だ、忘年会だと遊興三昧を行い。
年賀状と初詣だけ「喪中ですから」なんて常識があるはずもありません。
忌中というのは亡くなった人の為に一心不乱で祈る期間を言います。
忌というと不幸なイメージがありますが、霊媒の巫女を「物忌(ものいみ)」と言ったり、神様の食事を作る火を「忌火」といいます。
つまり忌中は神様(特に黄泉の神)に近づいている期間なんです。だから日常生活を送ってはならない、潔斎しなければならないのです。
明治時代の布告令を例に挙げて「一年間は喪中」などと言っている人がいますがデタラメです。あれは売名の自称常識家が流したインチキです。信じないで下さい。
まず、布告令では続柄によって期間があり、最大が13ヶ月です。1年なんて記述はありません。親族全てではなく「子」だけです。
更に前文には「死に立ち会った場合」とか「水垢離をすれば外れる」など例外事項も山ほど書かれています。
それに何より、この差別的政令は正式に破棄されていますから、慣例でも何でもありません。
一年の喪は皇室典範に見られます。これは天皇が亡くなった場合のものです。
しかし日本では目上に遠慮する風習が古来よりあります。1ランク下げて行うと言うものです。
主賓よりアクセサリーなどを着替え目にするなどは現代でも受け継がれています。
従って古来の風習でと言うのであれば、天皇が1年ならそれ以下にするのが常識となります。
更に皇室典範では最初の50日は義務ですが、それ以降は状況に合わせて政務が滞らない範囲で飛び飛びで行なうのだそうです。
つまり一年間の喪等という風習は日本にはありません。
神社本庁の冊子では「忌中であっても止むを得ない場合は祓えを受ければよい」と書かれています。
明治時代の政令でも似たような但し書きがあり、要するに喪中の隠遁はかなりいい加減だった事が分ります。
神社に参拝に行くと手水で清めますよね。鈴を鳴らしますよね。あの鈴は「鈴祓い」という立派な「祓え」なんです。
念を入れるなら、神社にお願いして、玉串料を納め、大麻(おおぬさ)での御祓いを受ければいいんです。(これは正式です)
よって、身内が亡くなった日から50日の忌中だけは参拝などを控え、その後は普通に参拝できると言うのは真の常識です。
忌中だけど参拝したい時はどうするか・・・
実は私達が日常している参拝は略式のもので「自由参拝」と言います。
略式の参拝に「正しい参拝法」等というものはありません。あれも売名常識家のデタラメです。
あの参拝法は神祗ちょうや神社本庁が「どのように参拝すればいいんですか」といい問に対して指標を示したに過ぎません。
その際神職の行なう参拝法を基本に定めたもので、古来のものでもなんでもないんです。
しかもそれは本来の参拝法である「昇殿参拝」の際の方法で、自由参拝で行なわれ始めたのは戦後の事です。
参拝はなにも拝殿の前に行かねばならないものではありません。
アマテラスの象徴である太陽、ツクヨミの象徴である月、その他、海や御神体である山に向かって一礼する事も参拝なんです。
つまり神社の前に行き、鳥居の外から一礼するだけで参拝している事になります。
忌中に参拝できないと神社本庁が言っているのは昇殿参拝を言っているんです。
だいたい、人が亡くなったら、神様に「そちらに参りましたので、よろしくお導き下さい」とお願いするのが当たり前の感情ではないでしょうか。
もし神事を行ってはならないというのであれば、神道で葬儀が出せません。
つまりそんな矛盾した風習が、この世に存在する等ということ自体が嘘八百なんです。
ちなみに神式の葬儀は本来神社神殿ではなく、家の中や別に設えた会場で行なうので、大丈夫なんですよ。