Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

TateShots: Ed Ruscha - YouTube

Ed Ruscha's exploration of language and American West Coast culture centred on Hollywood has made him one of the pre-eminent artists of his generation. Since the early 1960s he has channelled his fascination with words and the act of communication into books, print-making, photography, drawing and painting. TateShots went to meet him at his studio in Los Angeles.

http://youtu.be/HoNePbo9DD0


◇ TateShots: Ed Ruscha's photography books - YouTube

Ed Ruscha talks about the cultural curiosities which fill his photography book series.

He explains he "had no real agenda or message" when photographing the swimming pools, gas stations and parking lots of Los Angeles yet found an artistic value and new perspective in shooting the scenes from above.

http://youtu.be/0xboX5cvIzw


◇ ED RUSCHA Books & Co. at Gagosian Gallery Madison Avenue (5th Floor) - YouTube

"ED RUSCHA Books & Co."
March 5--April 27, 2013
Gagosian Gallery Madison Avenue, New York
© Ed Ruscha
Video by Trebuchet Interactive www.trebuchetweb.com

http://youtu.be/v4lLobHQfdQ


◇ "In Focus: Ed Ruscha" at the Getty - YouTube

The work of Ed Ruscha stands at the intersection of Pop Art and conceptual art.

http://youtu.be/7bS_RL8-PkA


◇ Ed Ruscha "Me and The" Graphicstudio fore-edge book - YouTube
http://youtu.be/ZobHL82rAns


◇ Ed Ruscha interview, Moderna Museet - Del/Part - YouTube
(1)http://youtu.be/LEvG4d_VkDI
(2)http://youtu.be/J-gl7EL7ptk


◇ Ed Ruscha speaks about his prints - YouTube
http://youtu.be/PHFyS4OxM-g


◇ Ed Ruscha's Hollywood Boulevard, 1973 and 2002 (Modern Architecture in Los Angeles) - YouTube

Artist Ed Ruscha's fascination with the vernacular architecture of Los Angeles began over fifty years ago and continues to this day. In the 1960s, Ruscha started documenting the building facades along the city's major roads by taking continuous photographs with a 35mm camera mounted to a moving vehicle. His first related publication, "Everything Building on the Sunset Strip" (1966), captures an extensive stretch of the famous thoroughfare. The Streets of Los Angeles Archive, now preserved at the Getty Research Institute, includes Ruscha's comprehensive views of avenues throughout the region.

Special thanks to: Mary Dean, Ed Ruscha, and the Ed Ruscha studio.

Video: Edward Ruscha Streets of Los Angeles Archive, Getty Research Institute, © Ed Ruscha.


This video is part of Pacific Standard Time Presents: Modern Architecture in L.A., a Getty initiative that brings together local cultural institutions for a wide-ranging look at the postwar built environment of Los Angeles, from its famous residential architecture to its vast freeway network, revealing the city's development and ongoing global impact in new ways.

http://youtu.be/6KIvGMVhaPs


>>>ED RUSCHA - The New York Public Library
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20140219#p5

1044夜『鉱物学』森本信男・砂川一郎・都城秋穂 - 松岡正剛の千夜千冊

 青木画廊をへて「かんらん舎」というユニークなギャラリーを創設した大谷芳久さんは、ハミッシュ・フルトン、トニー・クラッグ、ダニエル・ビュランといった海外アーティストを精力的に紹介していたのだが、1993年に画廊活動をきっぱりやめてしまった。日本の美術業界の体質にうんざりしたようだ。以来、鉱物を集めるほうに転じた。きっかけは黄鉄鉱と出会ったことにあるそうで、現代美術の作品を上回る造形美に惹かれたのだという。寿司と同じで「光りもの」から入ったらしい。
 その大谷さんがときどき買い付けに行く凡地学研究社(かつて千駄木その後に大塚)は、先代から続く75年目の鉱物老舗で、菊地司さんが仕切っている。学校教材の鉱物標本を長らく作っていたのだが(ぼくも3種類ほど標本箱を持っている)、いま700種くらいを扱っている。そういう菊地さんにとっても鉱物の種類を数えてるのは難しい。通例、いちばん少ない数え方でも4000種になるのだが、これはたとえば、水晶・アメジスト・瑪瑙・碧玉をすべて石英1種類と数えたばあいで、実際にはきっと数万種を超えている。
 たくさんの鉱物に出会うには、鉱物屋やミネラルショーを訪れるのがてっとりばやい。が、やはり圧倒されるのは博物館で、東京の国立博物館は3万点ほどだが、パリの自然史博物館は24万点、スミソニアンは鉱物だけで35万点、岩石で18万点、宝石やその原石だけでも1万点がある。1週間をかけて見るほどなのだ。

http://1000ya.isis.ne.jp/1044.html

マダガスカルの戦い - Wikipedia

マダガスカルの戦い(マダガスカルのたたかい)とは、アフリカ大陸の南東、インド洋西部に位置するフランス植民地のマダガスカル島第二次世界大戦中の1942年5月5日より11月6日まで行われた、ヴィシー政権側についた駐マダガスカルフランス軍(ヴィシー・フランス軍)および大日本帝国海軍と、イギリス軍と南アフリカ軍を中心とした連合国軍の間におけるマダガスカル島とインド洋のシーレーン奪取を目的とした戦い。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%80%E3%82%AC%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

レイライン - Wikipedia

懐疑的アプローチ: 確率論的に直線は引けてしまう
懐疑論者の中には、レイラインというものは存在せず、人間の想像の産物だと主張する者もいる。 ワトキンスがレイラインを発見した時期というのは、イギリス地理院が余暇を楽しむ人たちのために地図を発売し、それまでより地図の値段が安くなり人々が入手しやすくなった時期と重なっている。そのためレイラインの存在が人々の間で広く受け入れられた。

次のようなことを主張する者もいる。イギリスやその他のヨーロッパ諸国では、有史あるいはそれ以前の史跡が高密度に点在しているため、それらを結ぶ直線が引ける(往々にしてそういうものはわざわざ合うように引かれる)というのはごく当たり前のことであるし、おそらくは単に偶然だといえるだろう、と。
右に示した図は、試しにランダムに点を打ちその近くを通る線を引いていくという作業を行ったものだ。このテストの目的は、ランダムな点の間にでもおよそ”精確な”線を引くことが出来る、ということを示すことだ。ごく自然なこととして、このレイラインというものが人為的でなくとも確率的に発見できるものなのか、それとも確率論を超えた人の意思によって作られたものなのか、これは論議の対象となっている。 (数学的な考察に関しては、ランダムに配した点がなす直線を参照されたい。)
レイラインが交易路だとする説に対しては、山岳や河川があり水路や橋を必要とする場合は特に、目的地間を結ぶ直線状の道というのが必ずしも理想的な経路を描かない、ということを懐疑論者たちは指摘している。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3


◇ 近畿の主要神社を結ぶと『五芒星』が浮かぶとTwitterで話題に - | ^^ |秒刊SUNDAY

線で結ぶ地点は、主要神社である伊勢神宮熊野本宮大社伊弉諾神宮・元伊勢 外宮豊受大神社となっており、それにプラスとして伊吹山を加えた5地点だ。

さらに興味深いのが、それら星の中心にあるのが奈良であり、いわゆる平城京である。これがもし偶然ではなく意図として作られたものであるとすれば、1000年以上も前に現代のような精巧な測量系を使わずして、奇麗なレイラインを描くことが出来たということになる。

平城京を守る為に5つの拠点を設定したとも考えられる。

もちろん、5つの地点はたまたまかもしれないが、古代の人が神の力にあやかる為何かしらの手段で実現させたのではないかと思うと、歴史のロマンを感じる。

もしかしたら日本には、まだまだ隠されたレイラインが存在するのかしれない。

http://www.yukawanet.com/archives/4007514.html


◇ 大地に描かれた五芒星の発見者 - 暗号「山上憶良
http://www.geocities.jp/yasuko8787/111210.htm

数学者ポアンカレは毎日買っている公称1kgのパンがしばしば軽目なのに気づいた。そこで重さを一年間計り... - pipcosays

 数学者ポアンカレは毎日買っている公称1kgのパンがしばしば軽目なのに気づいた。そこで重さを一年間計り続け、それが平均950gの正規分布にほぼ従うことを確認し、警察に届け出てパン屋に警告させた。つまりパン屋は最初から1kgのパンを目標にしていなかった!
 それからまた一年間重さを計り続けたポアンカレは、今度はその分布が正規分布とは異なり、右に裾が長いことを見出し、再び警察に届けでてパン屋の不正を告発した。つまり、パン屋は反省することなく、単に目方の重そうなパンを選んでポアンカレ家に売っていただけであることをデータから見抜いたわけである。

数学セミナー 2010年9月号 通巻 588号 P.35
ソースは不明。だが面白すぎる。
→たまたま―日常に潜む「偶然」を科学する: レナード・ムロディナウ, 田中 三彦: 本
この本に同じ記述発見。

http://pipco.tumblr.com/post/69460116714/1kg

河原温 - Wikipedia

脚注
1.^ 河原の親族にはデザイナーや手芸家などの著名人がおり、彼らの苗字が「かわはら」であることから、河原温の本姓は「かわはら」である可能性が高いが、本人は一貫して「カワラ・オン」または「On Kawara」と署名している。
2.^ この頃、河原自身の執筆した雑誌記事として以下のようなものがある。
河原温「対立物の無表情な同居」『美術手帖』127号(1957年臨時増刊号「現代美術を理解しよう」)
河原温「どぜう地獄 吉仲太造の作品について」『美術批評』60号(1956年12月)
河原温「印刷絵画」『美術手帖』155号(1959年臨時増刊号「絵画の技法と絵画のゆくえ」)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E5%8E%9F%E6%B8%A9

制作のための12の注意事項(岡崎乾二郎) - omolo.com/news

2008/07/08 (Tue)

制作のための12の注意事項

一、あたかも虫が飛んできて、そのままそこに止まったかような心の動き。
二、作業にはけっしてしばられない。
三、近づくと、視野が広がる。
四、はじめからそこに在ったかのような、もしくは瞬間に出来上がったような。
五、色、そこから光はそこに残る。
六、壁に静止している虫は重さを壁に委ねていない。
七、小さくて小さくて大きい大きくて大きい小さい、そんな。
八、そこがどこから始まるのか、わからない。
九、測られることを拒む。
十、こわそうと思えばこわせる、あるいは保存しようと思えば保存できる。
十一、見ると見つけられてしまう。
十二、見るたびに忘れてしまう。

岡崎乾二郎美術手帖」1983年3月号p.33)

http://www.omolo.com/news/index.cgi?date=2008.07.08
高橋悠治さんの話とも通じるものがあるように思います。

白黒写真/カラー写真

「白黒写真は饒舌だ」という言い方を以前したことがありましたが、写真にとって色彩の有無はやはり大きなことであり、またどうでもよいことでしょう。八〇年前後から、白黒写真が一種のファッションとしてよみがえってきました。たとえば広告写真にあえて白黒写真が使われだしたのがあのころでしょう。それまでは広告といえばカラー写真が普通で、白黒は「低予算」を連想させるようなものでしかなかったけれど、それが積極的に「シック」なものとして使われはじめたんです。それと同時に、写真家の数人が「白黒は内面を表現するのに適している」みたいなことをいいはじめた。ぼくはそういった語り口には懐疑的だったんですけど。そのころちょうど、七〇年代からのアメリカでの動きとして、新しい態度でカラー写真を撮る人たちの動きも紹介されてきた。もちろん、それ以前から、たとえばアンセル・アダムズだってカラーを撮ってはいる。だけど「ニュー・カラー」と称されますけれども、ある人がこの題名の展覧会を組織して、その中にはウィリアム・エグルストンをはじめカラー写真が以前のように特別なものではなく、日常になっている写真家たちが参加していた。それまでの写真が色彩に対する意識を強調するように用いられていたのとちがって、白黒でストレートに撮るように、カラーでストレートに撮る、といった感じですね。

『写真との対話』(国書刊行会)所収「世界のはじっこにあるものにむかって 畠山直哉へのインタビュー」(聞き手=近藤耕人+管啓次郎、二〇〇二年一二月二五日)より。


◇ 近藤耕人・管啓次郎 編『写真との対話』(国書刊行会 2005年)

写真をめぐって言葉がつむがれる。言葉を追って写真が撮られ見られる。写真をめぐる言説がつねに参照してきた3人の批評家、ベンヤミン、バルト、ソンタグを手がかりに、写真の現在とその文学との接点とを探っていくユニークな試み。

写真の<いま=歴史>をつねに意識化しつつ活動を続けている2人の写真家、畠山直哉港千尋へのインタビューのほか、ソンタグ「小さな大全」、田中純「歴史の現像――ベンヤミンにおける写真のメタモルフォーゼ」、野崎歓「温室を満たす光――ロラン・バルトと写真による回心」、コドレスク「ウォーカー・エヴァンスのアメリカを読む」、堀江敏幸「本質を汲み出す泉」、キュー・リー「もしデカルトが写真を見たら……」、旦敬介「フアン・ルルフォの廃墟で」といった論考・エッセイおよび、トリン・T・ミンハによる写真=詩コラージュ「他性――Dイメージ効果」を収録。

http://www.amazon.co.jp/dp/4336046565
http://www.kokusho.co.jp/np/isbn/9784336046567/