連載【落語に学ぶ住まいと街(5)】
落語好きの住宅ジャーナリストが、落語に出てくる江戸の暮らしを参考に、これからの住まい選びのヒントを見つけようという連載です。
今でも花火が上がると、「たまや~」と声を掛けるが、その理由も説明してくれる「たがや」という、夏らしい落語を一席。
まず「たが」とは、辞書(大辞泉)によると「竹を割き、編んで輪にしたもの。桶(おけ)・樽(たる)などの外側にはめて締めかためるのに用いる。金属製のものもある」とある。「たががゆるむ」とか、「たががはずれる」といった慣用句でも知られている。江戸時代には、ゆるんだたがを元のように締め直したり、新しいたがに交換して、桶や樽を直して歩いた職人がいて、「たが屋」と呼ばれていた。
さて、隅田川の川開きに催される花火大会当日、「両国橋」は見物客の雑踏で身動きすらままならない状態。そこへ、馬に乗った身分の高そうな侍が供の侍を連れて、無理やり橋を渡ろうとする。非常識だと思うが、刀が怖くて見物客は文句も言えない。一方、たが屋が家に帰ろうと道具箱を担いだまま、反対側からやってくる。花火の件を失念していたが、いまさら別の橋に回れないと両国橋を渡り始め、見物客にぶつかり押されて橋の中央で倒れ込む。そのとき、道具箱に入っていた「たが」がはじけて、するする伸びて馬上の侍がかぶっていた陣笠を跳ね飛ばしてしまう。
みじめな姿をさらした侍は、怒って手打ちにしようとする。いくら謝っても許してくれないので、たが屋は開き直り、切り合いになってしまう。ところが、平和ボケした侍より喧嘩慣れしたたが屋のほうが強く、最後には、馬上の侍もたが屋が手にした刀で首を切り落とされることに。首が中天高く上がったそのとき、見物客から「たがや~」。
江戸両国で花火が上げられるようになったのは、享保18(1733)年5月28日(旧暦)からだという。前年に大凶作やコレラの流行で多くの死者が出たため、徳川吉宗が死者を供養するために水神祭を催し、そのときに上げられた花火が名物となって、毎年隅田川の川開きから8月いっぱいまで連日花火が上がるようになった。花火は、「鍵屋」と「玉屋」の二大花火師がその技を競って上げていた。花火が上がると見物客から「たまや~」「かぎや~」と声がかかるのはその由縁からだ。玉屋は、鍵屋からのれん分けで独立した店ながら、語呂もよいし腕もよいからか、「たまや」のほうが掛け声は多かったという。ところが、火事を出したために玉屋は断絶。それを憐れんでか、花火を上げるのが鍵屋だけになっても、「たまや」の掛け声のほうが多く、いまだに花火といえば「たまや」の声がかかるようになったということだ。
さて、今の東京でも隅田川の花火大会は人気がある。アットホーム(株)の調査では、「自宅から“隅田川花火大会”が見られたら、今の月額家賃に3635円プラスする価値がある」といった結果が出たそうだ。季節限定ながら、風物詩ともいえる花火が見られることは、不動産の価値も高めるので、家賃に影響するのは当然だろう。
ただし、「自宅から花火大会を見る」には、いくつか注意が必要だ。まず、花火の打ち上げ箇所に近いからといって、必ず花火が見えるとは限らない。窓の方角や周辺の建物の高さなどによって見えない場合も多いからだ。加えて、隅田川の花火が見られるという触れ込みのマンションでも、後から高い建物が視界を遮って見られなくなるということも起こりうる。
実際に、隅田川花火大会が見られるという眺望の価値を重視し、これを取引先の接待にも利用できると考えてマンションを購入したのに、後から建ったマンションが視界を遮って花火が見られなくなったというトラブル事例がある。平成18年に東京地方裁判所では、マンションの販売会社に「信義則上の義務の違反があり、買い主の損害を賠償しなければならない」という判決を下した。ただしこれには、マンションを販売した売り主が、花火大会を観覧するために購入したことを知りながら、わずか1年もたたずにその観覧を妨げるマンションを自ら建設したといった事情がある。
眺望は、周囲の環境の変化によって変わるもので、「永久的かつ独占的にこれを享受し得るものとは言い難い」とも指摘しているので、こうしたリスクも考慮したほうがよいだろう。
ちなみに、今年の隅田川花火大会は、7月28日(土)に開催される。