「イベリコ豚」といえば、生ハムの素材として名高いが、『イベリコ豚を買いに』(小学館 1620円)では、イベリコ豚の驚くべき真実を明らかにしている。同書の著者はイベリコ豚を知った瞬間、スペイン行きを企画するものの、国内で口蹄疫が出たため延期になるところから始まる。そのため国内の農場を訪ねて豚の取材を重ね、豚肉料理のあれこれを作っては食べる。
本当にスペインのイベリコ豚に会えるのか? そんなミステリーに似たわくわく感に読者を誘い込みながら、内外の畜産事情などを解明していく。そして、どんぐりを食べるイベリコ豚がなぜ貴重なのかを教えてくれる。旅行書としても楽しく読めるものだ。
同書の著者は、野地秩嘉(のじ つねよし)さん。1957年、東京生まれ。早稲田大学商学部卒業。出版社勤務などを経てノンフィクション作家になる。
テーマは食、ビジネス、美術、人物ルポなど幅広い。『TOKYOオリンピック物語』(小学館刊)でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。現在は、自動織機から始まった自動車メーカー・トヨタの歴史を執筆中。人生訓は「人間は何をしてもいい、自由だ」。作家のかたわら、イベリコ豚を輸入し、ハム作りに挑戦するのもその生き方の一環である。 そんな著者をたずね、イベリコ豚について聞いてみた。
レストランや総菜店で最近よく見かける人気の豚肉、イベリコ豚。特別なグルメでなくとも、どんぐりを食べて育つスペインの豚、というぐらいは耳にしているだろう。そして、きっとイベリコ地方の特産なのだろう、と。
野地さんからは驚くべき言葉が返ってきた。
「実は私もそう思っていました。日本で松坂牛、神戸牛というように、地名に由来するブランドだろう、と。ところが、スペインの地図をいくら見ても、そんな地名はない。それもそのはずで、イベリコとは土地の名ではなく、豚の種類のひとつ、イベリカ種のことだったのです」
イベリカ種という種類だとわかったところで、著者の好奇心、探究心はつのり、本当にどんぐりを食べるのか、高級・希少というがどれほどのものなのか、多くの「知りたい」を胸にスペインへ飛んだ。
「スペインに渡って、イベリコ豚はヨーロッパに残る唯一の放牧豚だということがわかりました。そして、この豚がいるのは、イベリア半島の中部から南だけ。そこには豚が食べるどんぐりのなる樫の木が生えているからなんです」
純粋な種が減ってしまった近年、絶滅を避けるために、「イベリコ豚とは母豚が純イベリカ種に限る」などの規定が設けられるようになった。
そもそもイベリコ豚は、昔からイベリア半島の食文化に深く根づいていたが、冷蔵保存の技術がなかったために、保存食である生ハムにするのが一般的で、この伝統は現在も生きている。
「第二次世界大戦後の貧しい時代は、主にイベリコ豚の脂をパンなどに挟んで食べていたそうですが、確かに、イベリコ豚は脂身が多い。食べてみればわかるのですが、この脂があっさりしていて実にうまい。しかも、体にいいオレイン酸やビタミンB群が多いので、イベリコ豚は、“足のついたオリーブの実”といわれています」
「餌がどんぐりだけというのも実は違います。広大な樫の森に放牧されている豚は、熟した樫の実を食べますが、どんぐりの熟す季節以外は他の餌も食べるし、どんぐりを全然食べないイベリコ豚もいます」
こう書くとスペインに行けば、簡単にイベリコ豚に会えるようだが、著者が実際にたどり着くまでには紆余曲折があった。そのエピソードや日本で生ハム作りに挑戦する後日談のハラハラドキドキは、ぜひ本書で追体験してほしい。
著者にはほかにも食に関する著作も多いが、単なるグルメではない。料理を作り出す人、食を取り巻く暮らしや文化を探る著作だ。
「私は子供の頃、ご飯を炊く物音で目を覚まして、明治生まれの祖母から怒られたことがあります。“本来、男の子は刀を手入れする音で起きるものです”って。この祖母は“三白は国を滅ぼす”“男はおやつなど食べてはいけない”とも言っていました。三白とは白米、白砂糖、漂白した小麦粉のことですよ。おやつはなぜか女は食べてよくて、姉は食べていましたけど。おかげで私はいまだに甘いもの、ケチャップやソースの甘みさえも苦手ですね(笑い)」
本書のために国内でも計り知れないほどの豚肉を食べたが、豚カツもからし醤油で食べるのがいちばんという。
「日本の豚カツのうまさは格別ですよね。生パン粉をつけてさっくりと揚げるというのも、キャベツのせん切りを添えるのも日本だけ。イベリコ豚でなくても、日本の豚で充分。100g158円の肉ともやしで何度も焼きそばを作って食べましたが、いつ作って食べてもうまい。そんな国、他にありませんね(笑い)」
※女性セブン2014年7月3日号