STAP細胞の騒動が世間を揺るがせています。特に4月9日、小保方晴子氏が久方ぶりに姿を表し、記者会見を行ったことで、騒ぎは最高潮に達した感があります。

 本ブログではこの件に関し、今まで何も触れてきませんでした。専門外でもありますし、あまりよい話題でもないですし、筆者は他人の不正をあれこれ論評できるような偉い人間でもありません。

 ただ、9日の会見を見て、「小保方氏の発言に納得した」「彼女の言うことを信じた」という人が多数派であったのには驚きました。ネットでのアンケートでもそうですし(※)、テレビ番組での調べでも、6〜7割の人が小保方氏を支持するとの結果が出ていました。これはずいぶんとずれが生じているかなと感じたので、思い切ってこの件について書いてみます。

(※)4月12日現在では投票結果が逆転し、「納得できなかった」が多数派となっているようです。

 アンケートに寄せられたコメント、テレビでのコメンテーターの論評など見ていると、「頭の硬い学者が、論文の作法など細かい点をあげつらって、世紀の発見を無にしようとしている」「若い女性が大発見をしたことに嫉妬している」「STAP細胞が存在しては困る勢力が潰しに来ている」という見方をしている人が、少なからずいるようです。

 これは、全く当たらない見方だと筆者は考えていますし、研究者のほとんどもそうした見解のようです。なぜ研究者とそれ以外の人との間にこれだけの温度差が生じるかといえば、小保方氏の行った行為がどの程度のものであるか、一般には伝わっていないからと思います。実際、理研の会見は難解な専門用語ばかりで、いったい何がどう悪いのか、専門家以外にはとうてい理解できるものではありませんでした。

 しかし実際のところ、小保方氏のやったことは「書き方が悪かった」「単純なミス」「悪意のない取り違え」といったレベルのことではありません。実際に論文を読み書きしたことのある研究者は、このあたりの事情をわかっていますが、一般には理解されにくいことと思います。

 そこで、小保方氏の行為がどのようなものであったのか、事件の報道にたとえて書いてみたいと思います。もちろん完全なたとえではありませんが、大筋でこういうことと思っていただければ幸いです。研究者のみなさんにとっては何を今さら、という内容ですが、実際と大きく異なると思われたらご指摘下さい。

(1)ある若手新聞記者が、数年がかりの取材の末、大事件の真相をスクープした。この新聞社は事件を連日トップで扱い、若手記者をスターに祭り上げた。
(=STAP細胞の最初の記者会見)

(2)その記事では、ある場所に犯人が潜んでいると報じられていた。しかし、多くの人がその場所を訪れて探索したが、誰も犯人を見つけられなかった
(=世界中の研究者が追試するも、STAP細胞は再現せず)

(3)記事において、大きな証拠のひとつとして挙げられていた現場写真は、実は記者によって切り貼り加工が行われていた
(=電気泳動の写真に切り貼り加工)

(4)記者は「犯人の写真」として、別人の写真を貼り付けて記事にしていた
(=STAP細胞から生じるテラトーマの写真は、全く別の条件で行った実験のものだった)

(5)記者が事件の決定的証拠として挙げていた品は、もう一度現場検証をしてみたところ、実際には存在しなかった
(=理研が3月5日に発表したSTAP細胞作成プロトコルで、TCR再構成が確認されなかった)

(6)記者が書いた以前の記事も、他人の書いた本から大量にコピペをしていたことが発覚
(=博士論文の序論に多量のコピペ)

(7)新聞社が記者を調べるが、膨大にあるはずの取材ノートがほとんど残っておらず、日付などバラバラの、証拠性の低いものだった
(=実験ノートが2冊だけだった)

(8)記者は会見を開き、「犯人には200回会った」「第三者も犯人を見ている」「写真は単なる取り違え」と主張したが、新たな証拠や、本物の犯人の写真を提示することはなかった
(=4月9日の会見)

というのが現状です。他にもいろいろ盗用疑惑などはあるようですが、まあこれでも十分過ぎるほどでしょう。で、これを踏まえて、

・これを見て、記者に全く「悪意」はなかったといえるか?
・この現状で、記者のいう「事件の真相」を信用できるか?
・「記事の書き方はまずかったが、それは枝葉のことでしかなく、事件の真相を追うことが本質だ」という主張に賛成できるか?
・この記者は、事件の真相を追うため、今後もマスコミの世界に身を置き続けるべきか?

ということだと思います。

もちろん、全てが明らかになったわけではありません。記者の単独犯であったかなど詳細はまだわかりませんし、記事の内容全てが捏造と決まったわけでもありません。あるいは記者は未知の事件の核心に、いくらか迫っているのかもしれません。

しかしそれであったとしても、この記者は現状ですでに「アウト」である、というのが常識的な判断ではないでしょうか。単なる揚げ足取りや細かい書き方の問題ではなく、記事の根幹を揺るがす不正や疑惑が、あまりにたくさん発覚しているからです。

筆者自身、STAP細胞は存在していてほしいと思いますし、会見で小保方氏から何らかの証拠が出されることを期待していたのですが、それもありませんでした。現状では、STAP細胞の存在を信じるのはあまりに難しいと思います。


ではなぜ、科学者コミュニティからこうした説明がなされないのか?これは、科学者はこうした誤解の余地のあるたとえ話や、正確性の劣る言い回しを嫌う、というより絶対に使わぬよう訓練されているからです。「可能な限り確かなこと」だけを厳選し、積み上げてできたのが現在の科学であるから、これは当然です。筆者はすでに現役の科学者ではないので、こういう書き方をしてしまいますが。

科学者は十中八九――いや99.9%そうだと思っていても、完全な確証がない限りは決して「断言」はしません。いきおい、その説明は専門用語だらけの持って回った物言いになります。「そんなことあるわけねえだろ!」と切って捨てることはできず、「これらの証拠を鑑みる限り、現段階では○○の可能性は極めて低いものと想定されるが、さらなる今後の検討が必要である」といった歯切れの悪い言い方しかできないのです(逆に言えば、やたらに断言する「科学者」は怪しいと見るべきです)。

しかし、人は「断言」する人を信じ、心を動かされます。理研の小難しい発表よりも、「STAP細胞は、あります!」と自信たっぷりに断言する小保方氏の方が信頼を集めたのは、当然といえば当然なのでしょう。困ったことですが。

小保方氏はこの件を裁判に持ち込み、徹底抗戦の構えのようです。科学者は「小保方氏に勝ち目があるわけがない」と楽観しているようですが、そう簡単でしょうか。先に述べた「99.9%の証拠では断言しない」という科学者の性質は、法廷の場ではずいぶんマイナスに働きそうです。敏腕弁護士に、黒を白と言いくるめられる可能性はないのか、心配になります。

「心配」というのは、「この程度の盗用・剽窃なら、クビにならずに済む」という前例ができてしまえば、今後日本の研究者倫理がぐずぐずに崩れていくかもしれないと思うからです。このあたりは、堀川大樹氏のブログでも詳しく述べられており、その懸念を共有するものです。

そして小保方氏はきちんと決まりがついたら、研究以外の別の道で再出発してほしいものと思います。それができるだけの、ある種の能力はあるようですし。

最後になりますが、今回の件は小保方氏一人の責任で終わるものとは全く思えません。なぜあれだけの研究者が揃っていながら、これだけの不正が見逃されたのか、なぜ大きな実績もなく科学者としての資質に欠ける小保方氏を、ユニットリーダーに取り立てるような人事がなされたのか、当初の広報手法はどうだったのか。もろもろの問題をきっちりと検証し、責任を取ってもらわなければ、事件は終わらぬものと思います。