夏の甲子園では多くのドラマやヒーローが生まれた。国民的スポーツイベントの歴史から、ここでは“怪物”江川卓に注目が集まった1973年第55回大会の作新学院と銚子商業の2回戦(8月16日)を振り返ってみよう。
5万6000人の観客で埋めつくされた甲子園球場。作新学院・江川卓と銚子商・土屋正勝の息詰まる投手戦は、0対0で迎えた延長12回裏、江川が押し出しの四球を与えて勝負がついた。
初出場したセンバツで60奪三振の大会新記録を樹立し、栃木大会の5試合ではノーヒットノーラン3試合、被安打2、奪三振75。記録ずくめの“怪物”江川が甲子園に戻ってきた。
初戦の柳川商戦で延長15回で23三振を奪い、2戦目の相手が2年生エース・土屋を擁する銚子商だった。前年秋の関東大会で、江川は20奪三振、被安打1で銚子商を完封している。
「作新学院の初戦をバックネットから見ていましたが、江川投手の調子はよくなさそうでした。相手チームは結構バットに当てていた。0点に抑えれば勝てると思いました」(土屋)
試合は両者譲らず0対0のまま延長戦に突入。10回裏、銚子商は先頭打者が三塁打を放ち、サヨナラのチャンスをつかむ。スクイズを外されたものの、その後、連続四球で二死一、二塁となり、2番長谷川孝之がライト前ヒット。これをライトがファンブルし、二塁走者は本塁に頭から突っ込んだ。しかし、ここは捕手にブロックされて間一髪アウトとなる。試合は11回へ。
試合途中から降り始めた雨が激しくなっていた。12回裏、再び銚子商にチャンスが訪れる。四球、センター前ヒット、敬遠で一死満塁。打者は前の打席でヒットを打った長谷川。江川がフルカウントから投じた169球目は大きく内角高目に外れ、痛恨の押し出し。激しい投手戦は幕切れを迎えた。
一方、銚子商はベスト8で姿を消したが、翌年の夏、甲子園のマウンドに戻ってきた土屋は5試合すべてに先発し、2完封、失点1という好投で全国制覇を果たした。卒業後、中日ドラゴンズからドラフト1位指名を受けてプロ入りしたが、プロ通算8勝22敗4セーブと振るわず、現在は千葉県旭市で保険代理店を経営している。
「江川投手に勝ったことで全国の高校から銚子商に招待試合の誘いが殺到した。肩を休めることなく投げ続けたので、プロに入ってそのツケが回ってきた。でも後悔はしていない。プロは江川投手を倒したオマケで行かせてもらったと考えています」(土屋)
※SAPIO2013年9月号