県人遺族「父の無念も」 2・28事件、賠償申請の準備進める


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「生きている間に父の無念を晴らしたい」と話す仲嵩實さんの長女、徳田ハツ子さん(右)と孫の當間ちえみさん=18日、那覇市

 台湾の国民党政権が住民多数を殺害した1947年の「2・28事件」で、台北高等行政法院(裁判所)が17日、父を失った浦添市の青山恵昭さん(72)への賠償を台湾政府に命じたことを受けて、同じく犠牲になったとされる別の県人の遺族から「体が震えるほどうれしかった」「父の無念も晴らしたい」と真相究明と賠償を求める声が上がった。

 「台湾2・28事件、真実を求める沖縄の会」(青山恵昭代表世話人)の調査で判明している県人の犠牲者は、青山さんの父恵先(えさき)さん=当時(38)=のほか、仲嵩實さんと石底加禰さん、大長元忠さんの男性3人。同会は3人についても賠償申請の準備を進めている。
 与那国町出身の仲嵩さんと石底さんは基隆港で故障した船の部品を取りに行って事件に巻き込まれた。仲嵩さんの長女、徳田ハツ子さん(78)=那覇市=は小学校低学年のころ父と生き別れになった。「わたしと弟を『自慢の娘と息子です』と人に紹介してくれた。その他の記憶はあまりない」と徳田さんは声を詰まらせる。
 両親と弟、妹と暮らしていた徳田さんだが、仲嵩さんが事件に巻き込まれると生活は一変。母親は父の親類に「お前が台湾に行かせるからだ」と責められ、居場所を失った。親類は子どもたちを連れて行くことを許さず、母は1人で島を出た。「甘えたい盛りに2・28事件で両親を失った。満足に学校に通えず、親の愛情も学問もないまま成長してしまった」
 徳田さんの長女、當間ちえみさん(59)は暗い表情で過去を振り返る母の姿を見て事件に向き合い、賠償請求することを決意した。
 當間さんは生存者の証言などで、犠牲者たちは袋詰めにされ海に落とされたと知った。「祖父は子どもたちに苦労を掛けてしまったことを海の底からずっと気にしていたと思う。その無念さが孫のわたしを突き動かしている」と話す。徳田さんは「『お父さんの事件、解決したよ』とあの世で父に再会したときにお土産話をしたい」と目を潤ませた。(松堂秀樹)