小保方氏の上司たちについて

 

    想定外の規格を見抜けといわれても・・・

 

悪意がなかった(故意じゃなかった、知らなかった)とはいえあれほどの捏造、改ざん、盗用を、Nature誌というトップクラスの学術誌で平然と単独でやってのけた小保方氏は、これまでの日本の研究史上極めて特異な例ではないだろうか。まさに想定外の規格をもっていたのだ。それほど稀な特殊素材を、採用の段階で見抜けというのはちと酷な気もする。

 

研究職の場合、応募時に通常の履歴書以外に、推薦書を要求されることが多い。一般企業のように身辺調査をするわけにはいかないので、採用予定の者が有象無象の輩(やから)ではないことを担保するため、前職の上司から推薦書という形で、人物像、能力、などを聞き出すわけだ。推薦書に問題がなく、今回の小保方氏のように知り合いの同業者からの推薦もあれば、よっぽどのことがない限り疑わない。ましてやSTAPというねぎをしょってくるわけだからそれを断る理由がない。試用期間も通常一ヶ月ほどなので、それでボロがでることもない。

 

このような採用方法は、万国共通、世界標準だが、もちろん完璧ではない。よくあるのは海外のポスドク先で一流誌への論文掲載を成功させた若い研究者をPI(独立研究員)として採用する場合だ。このような場合、実際はポスドク先の研究室の実力が9で、本人のそれが1なんて極端な場合もあるのだが、通常これも採用の段階で見抜くことは難しい。一流誌掲載という箔がついているからだ。そういうのは得てして次の一発が出ないものだが、採用が実力者の肝いりだったりするとなかなか首にならない場合が多い。

 

若い研究者をその箔だけでPIにする弊害はそれだけではない。中間管理職の苦労もなく、いきなり一国一城の主に祭り上げられれば、部下を自分の奴隷と勘違いし、ラボの絶対君主として君臨する輩がいてもおかしくない。そういうPIは、得てして外面(そとづら)が良く、同僚やその上司にあたる学科長(部門長)との人間関係も良好な場合が多いため、ラボの外からは内部の荒廃が見えにくく、内部の者も声を上げにくい。ちょっと脱線してしまったが、もちろん、これらは小保方氏のことではない。話を戻すと、採用や人事においても性善説に基づいた馴れ合いの構図があり、それが今回の不幸を招いたとも言えるが、他と比べて理研の採用過程に特段の落ち度があったとは思えないということだ。むしろ、今回に関して言えば、小保方氏の規格が余りに想定外だったのだ。

 

    見えにくい責任の構造

 

次に、小保方氏の上司たちはなぜ彼女の悪意のない捏造・改ざん・盗用を見抜けなかったのか。その理由を最も端的に表現するとすれば、理研の上司たちには彼女の研究上の上司(研究指導者)という認識がなかったからだろう。当然だ。STAP細胞のアイデアから基礎のデータまで彼女がバカンティ研から理研に持ち込んだものからだ。したがって、理研の上司たちは上司というよりは、共同研究者に近い立場で小保方氏と接していたと考えられる。

 

そういった意味では研究上の上司という認識があったとすればバカンティ氏だけではなかったか。ただ、彼には上司という認識はあっても上司としての能力がなかった。彼は医者ではあるが、PhDはもたない。彼の思い通りの結果を出してくれ(ているように見え)る小保方氏を、ただただ「僕の天使」といって崇めていただけなのだろうか。ここできちんとした教育をされていれば、小保方氏がここまで平然と悪意のない捏造・改ざん・盗用を繰り返すことはなかったのかもしれない。

 

研究指導者より共同研究者という立場なら、生データを細かくチェックすることはない。そうすることは共同研究者を信用していないと捉えられかねないからだ。しかしながら、研究上の上司としての認識はなくとも、組織上の上司という認識はあったはずだ。だとすれば、彼女の実験ノートの不備に気がつかなかった責任は大きい。3年間でたった2冊の実験ノートしかなかったという事実を見過ごしたとすれば、3年間に一度も実験ノートをチェックしなかったと疑われても仕方がない。

 

ただここで1点だけ指摘しておきたいのは、理研の実験ノートいうのが、いわゆる通常の実験ノートは違う一面をもっているということだ。理研が所属する研究員に記載を義務付ける実験ノートは、主に特許紛争対策を主眼に置いている。そのため、実験で得られたネガティブな結果に対して、研究全体を否定するようなコメントを書き込むことは禁止されている。つまり自由に思ったことを書くことができないのだ。逆に、実験に使用した試薬は、毎回そのロット番号まで細かく記載することが義務付けられている。これらの規則を不便に思う研究者は少なくないだろう。こうした不便さから、理研の実験ノートが形骸化していった可能性は否めない。

 

果たして研究者は2つの実験ノートを持つことになる。理研に提出用の表の実験ノートと自分用の裏の実験ノートだ。よほどの特殊能力でもない限り、3年間に2冊だけの表の実験ノートだけで、実験や思考を組み立てられるわけがない。小保方氏にも裏の実験ノートがきっとあるはずだ。電子的にかもしれないが。

 

今回の反省を生かすとすれば、実験ノートを特許紛争対策ばかりではなく、研究不正行為対策にも生かせるよう規則を作り直すことだろう。ただ、過度に管理しようとすると、再び形骸化につながりかねない。それを防ぐためには、これまでの役人指導ではなく、研究者主導で自主的に行う必要がある。研究管理も性悪説に立つと、途端に難しくなるものだが、だからといって役人の言いなりになれば、今回の一件のように最後矢面に立って責任をとらされるのは研究者のほうだと自覚すべきだろう。

 

仕分けで予算が削られるとなれば、体よく駆り出され(利根川BSIセンター長)、不正事件が起これば、矢面に立って謝罪を強いられる(野依理事長)。いつの時代も役人はしたたかだ。理研は昔も今も「研究者の楽園」などではなく「研究者をいいように使える役人の楽園」なのだ。もちろんその分、研究環境だけは格段に恵まれてはいるのだが。いづれにせよ、外からは見えにくい責任の構造が理研にはあるということだ。

 

後記:●「STAP騒動、私見」第一弾「小保方氏について」が好評だったので、第二弾「小保方氏の上司たちについて」をUPしました。そしていつになるかはわかりませんが、第三弾「理研という組織」と題して、理研を牛耳っている黒幕(もちろん野依理事長じゃないですよ)を炙り出し、今回の一件について沈黙する文科省の責任を明らかにしたいと思うのですが、いかんせん私ごときの取材力には限界があります。何か耳寄りな情報をお持ちの方は右の「Livedoorプロフィール」からご連絡ください。勿論取材力不足により記事化を断念することもありますので、あらかじめご了承ください。●その名前こそ記してはいませんでしたが、バカンティ氏が有名になるきっかけとなった「背中に耳のあるマウス」について、拙稿で以前少し触れていました。奇しくも同じ稿で小保方氏の上司のひとりだった笹井氏の研究を紹介しています。センセーショナルな売り込み(だけ?)を得意とするバカンティ氏と、1990年代前半の神経誘導因子発見以降、堅実で着実なキャリアを築きつつあった笹井氏。当時はこの正反対なお二人が手を組むことになるとは夢にも思っていませんでした。けれど、現在もSTAP細胞の存在を信じ続けるお二人は、意外にも似たもの同士だったのかもしれません。ただ、再生医療などという言葉すら一般的ではなかった1990年代に、その重要性にいち早く気づいていたお二人の先見性を鑑みれば、お二人が今でも信じている、広い意味でのSTAP現象に最後の大逆転があるのかどうなのか。最後まで目が離せません。●ご批判、ご意見、大歓迎です。記事と全く関係のないコメント以外なら、否定的なものも肯定的なものもすべて公開します。ただ、罵詈雑言だけの全否定だけはご勘弁ください。打たれ弱いので・・・(笑)