読書感想文

Jan 18

文庫「たましいの場所」早川義夫(筑摩書房)

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  売れる歌と良い歌が一致しないということは皆、気づいている。ほとんどの場合、より多くの宣伝費用を使って、より多くの人間の脳にその歌を何度も刷り込むことで、売れる歌となる。一方、1回聴いただけで、しっくりくる歌というのがある。最初ピンとこなくて、久しぶりに聴いたらグッとくる歌というのがある。そこには聴いた回数ではなくて、恋愛に似た出会いがしらの感動が入っている。好きな歌が、自分にとっての良い歌だ。

 早川義夫さんの名前をはじめて知った時、彼はまだ幻の人だった。ジャックスというバンドを辞め、歌うことを辞め、書店主として関東のどこかで生きているということだった。京都の中学生だった僕にとって関東はテレビや映画の中にある街でしかなく、同じ地平線上にはない街だった。「早川義夫は、誰も見つけられない静かな場所に行ってしまったんだ。」残された数少ない彼の写真を見ながら地味な書店員生活を想像していた。何を考えているのかわからない丸いサングラスとロングヘアーの彼の顔がジッとこっちを見てるような気がした。

 その時点で最後のアルバムになるはずだった「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」を買った。逆説的なタイトルに心掴まれ、不気味なジャケットに後ずさりした。僕はそれを自部屋でヘッドフォンで聴いた。隙間だらけの音の間から断末魔の囁きが聴こえたような気がして、僕はヘッドフォンを放り投げた。寒気が止まらなかった。14歳の僕は、そのアルバムを棚の一番奥深くに封印した。

 先日、早川義夫ライブに行ってきた。再び歌い始めてからもう20年が経っているという。書店を経営していた年数とほぼ同じだけ歌っている早川さんがいた。その日聴いた早川さんの現在の歌は<どうにもできないことへの愛着>を感じる歌だった。感動が喉の奥からあがってきた。14歳のあの日の尾ひれのついた恐怖が溶けていく。壁に大きく怪しく映った影絵のように聴こえていた歌が、ずっとそばにいて欲しいような歌に変わっていった。

 終演後、幸運にも僕は早川さんとお話することができた。僕が聞きたかったこと。それは書店主だった頃の早川義夫さんのこと。同業者だった人。先輩書店員。緊張を悟られまいと早速質問すると、早川さんは開口一番「本屋を辞めて正直ホッとしているんです」とおっしゃられた。実によく理解できた。なぜなら僕もそのとき、もうホッとしようと思っていたからだ。早川さんが早川書店を閉店した約20年前、すでに出版不況は始まっていた。僕は10年前、出版不況真っ只中に本屋を始めていた。たかだか10年といえど、たくさんの事があったような気がするし、ずっと同じ毎日だったような気もする。とにかくその時、僕は早川さんの肩の荷を降ろした日の爽快感を容易に想像できた。それまでに自分で何度も想像していたから。

 ガケ書房は丸10年を迎えようとしている。そのまま11年目に入るだろう。ホッとする日はまた先延ばしになった。早川書店は22年営業したという。この本の中に「閉店の日」という文章がある。

 『閉店の日、僕は、泣いてばかりいた。涙がとめどもなく出た。棚を見ているだけで、涙がこぼれた。お客さんと言葉を交わそうとするだけで、涙が出た。閉店を知って、毎日来るお客さんがいる。もううちにはその人が買うようなものは残っていない。なのに何かしら探していく。 ~中略~ 岩波文庫が返品出来ないことを知って、そればかり買っていくお客さんが何人もいた。その方は、親しいわけではなかった。店の前で立ちすくみ、入ってくるなり「ボクは寂しい」と言って泣き出した。六十歳くらいの人だ。他のお客さんが一斉にこちらを見ている。意外だった。いわゆるお得意さんや親しいお客さん(もちろん残念がってくれたが)よりも、あまり目立たない人、一度も話をしたことがない人から惜しまれた。これは思ってもいなかったことだ。 ~中略~ 目に見えないくらいの小さな感動が、本屋には毎日毎日あったのだ。感動は芸術の世界だけにあるのではなく、何でもない日常生活にも、同じようにあるのである。それを僕は、閉店の日にお客さんから学んだ。』

 書店は町の憩いの場だと思う。開放されたスペースだ。いわば、公園のような存在で、貧富の差も年齢も関係なく、そこに気軽に入って時間を過ごせる。まったく儲けの出ない職種だから、その場所の管理運営費を本を買うということで利用してくれる方たちから頂戴して成り立っているようなものだ。早川書店に、悠然とした町の空気がいつも流れていたことを表しているエピソードだと思う。

 早川さんには、本屋を始める前に出した『ラブ・ゼネレーション』という本と、本屋時代の『ぼくは本屋のおやじさん』という人気本が他にもある。でも僕にとっては、この『たましいの場所』が一番しっくりくる。この本が書かれた年齢に近いというのもあるが、なにより、経験してきた恥や傷みや欲望に忠実で、なるべく正直であろうと表明している本だから。どうにもできないことをどう愛するか? 早川さんからそう学んだ気がする。

ガケ書房店主 山下賢二 


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    京都 ガケ書房店主山下さんの文章。 いい。今すぐガケ書房へ行ってウロウロしてしまいたくなる。大好きだ。
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