住まいの雑学
連載江戸の知恵に学ぶ街と暮らし
やまくみさん正方形
山本 久美子
2013年2月1日 (金)

落語「火事息子」で分かる 江戸時代と今の消火の違い

落語「火事息子」でわかる 江戸時代と今の消火の違い
「江戸名所図会」国立国会図書館所蔵

連載【落語に学ぶ住まいと街(16)】
落語好きの住宅ジャーナリストが、落語に出てくる江戸の暮らしを参考に、これからの住まい選びのヒントを見つけようという連載です。

落語「火事息子」とは…

前回に続き今回も火事の噺。といっても、消火がテーマなので、不謹慎と言わず読んでくだされ。

神田周辺の質屋「伊勢屋」の近くで火事が起きた。そこで、店の旦那に蔵の目塗りをするように言われた番頭が、へっぴり腰で目塗りをしようとするがなかなか上手くいかない。と、そのとき屋根伝いに若い火消(ひけし)が現れ、蔵のオレクギに番頭の体を支えさせて目塗りしやすいように手伝ってくれた。実はこの火消の若者は、この店の若旦那だった。

子どものころから火事が大好きだった若旦那。町火消になりたかったのだが、親が許さない。親に気を使ってどこの町火消にも受け入れてもらえないと分かり、定火消(じょうびけし)の火消人足「臥煙(がえん)」になろうとした。さすがに、旦那が勘当してしまい、若旦那の行方が分からなくなっていたのだ。

さて、火事騒ぎもおさまり、番頭が旦那に目塗りを手伝ってくれた火消を引き止めているという。一言お礼を……という段になって、番頭が実は火消は若旦那だと言う。「勘当した息子には会えない」という旦那に、「他人様ならなおのこと、お礼を言わなければなりません」と番頭。こうして、久しぶりの対面となる。

勘当した息子なので、父親である旦那は他人行儀となるが、駆け付けた母親は再会できてうれしくてならない。法被(はっぴ)一枚の息子を見て、着物をやりたいと言い出す。当然、旦那は息子の着物なんか捨ててしまえと反対する。その一方で、小遣いでもつけて捨てておけば拾うやつもいるだろうと、暗に息子が拾うから捨てろという親心を見せる。

そんな親子の情愛が伝わる一席だ。

若旦那が憧れた火消は、江戸時代の消防組織

さて、防火対策としての「蔵の目塗り」は、前回「落語「味噌蔵」の蔵は、江戸時代の耐火建築物だった!?」で紹介したとおり。蔵にカギ状のクギを付ける漆喰(しっくい)の半円球があり、この半円球を「ツブ」、クギを「オレクギ」と言った。立川志の輔師匠の「古典落語100席」によると、番頭の前掛けの紐をこのオレクギに結んで、両手で目塗りができるようにしたということだ。

落語「火事息子」でわかる 江戸時代と今の消火の違い

写真協力/江東区深川江戸資料館 撮影/荒関修

江戸時代、特に町人が住むエリアは人口が密集していて、路地裏に長屋が建ち並んでいた。しかも、住宅の大半が木造で、連載の第11回「落語「不動坊」の“天窓からへっつい”は、今ならシステムキッチン」第12回「落語「ろくろ首」の照明は行灯。進化した現代はLED照明に注目」に書いたように、調理をするのにも、暖を取ったり灯りを点けたりするのにも、すべて火が使われていた。そのため、江戸の町は火事がとても多かった。そこで、江戸時代初期には整備されていなかった消防組織が、次第に整うことになる。それが、若旦那が憧れた火消だ。

火消と言っても「大名火消」「定火消」「町火消」に分かれる。最初に組織されたのが、大名火消だ。江戸城や大名の藩邸を消火する組織。歌舞伎の「加賀鳶(かがとび)」は、加賀藩お抱えの大名火消だ。次に、幕府直轄の定火消が組織される。旗本の下に与力・同心が付属し、臥煙(がえん)と呼ばれる火消人足を抱え、主に江戸城の火災警戒にあたらせた。定火消は1657年(明暦3年)の大火事を教訓に強化され、今の消防署にあたる火消屋敷が麹町、御茶の水、市谷佐内坂、飯田町などに配置されたという。

町火消は、名奉行としてお馴染みの大岡越前が将軍吉宗の命を受けて、町人による火消を編成させたもの。いろは47組(のちに48組)と本所深川の16組が組織された。当時の町火消は江戸っ子の人気を集め、歌舞伎の「め組の喧嘩」の題材にもなった。「火事息子」の若旦那は、町火消になりたかったのだが、町役人でもある旦那の顔を立ててどこも受け入れないので、定火消の臥煙になろうとしたということだろう。

江戸時代の消火は、燃えるものを無くす破壊防災

今では、さまざまな消防設備がある。住宅の中にも、火災報知器の設置が義務付けられているし、構造や床面積によっては防火扉やスプリンクラーの設置も必要だ。火災時には、2方向に避難路をつくるように設計することが求められている。早く火を消すこと、早く逃げること、周辺に延焼させないことが基本となるが、これは江戸時代も同じ。ただし、消火設備が整っていない江戸時代は、もっぱら「火の用心」と「破壊消防」だった。

まず、火事を早期発見するための「火の見櫓(やぐら)」を十町に一つの割合で設置した。そしてひとたび火事が発生すると、火元より風下の木造家屋を次々と壊して延焼を防ぎ、火災の被害をくい止める「破壊消防」を行った。「江戸名所図会」の馬喰町馬場の絵には、火の見櫓が描かれ、その奥に日除け地が見える。日除け地とは、延焼防止のための空き地で、広小路(幅を広げた道)もそのひとつ。空いていてはもったいない?ので、幕府の馬場に利用したり、移動可能な屋台店を認めたのでにぎわったという。上野広小路など、今も地名にその名残が見られる。

■参考資料
「落語ハンドブック改訂版」三省堂
「落語で読み解く『お江戸』の事情」中込重明/青春出版社
「古典落語100席」立川志の輔選・監修/PHP研究所
「大江戸ものしり図鑑」花咲一男監修/主婦と生活社
「江東区深川江戸資料館展示解説書」
消防防災博物館:見て学ぶ-消防の歴史・現在・未来
HP:http://www.bousaihaku.com/cgi-bin/hp/index.cgi

江東区深川江戸資料館
HP:http://www.kcf.or.jp/fukagawa/

https://suumo.jp/journal/wp/wp-content/uploads/2015/05/dc8bf0c1134dae340e61cda16d35e4fa.jpg
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