死ぬ時、まさにその瞬間、流れている音楽はきっと選べない。そして恐らく、音楽など流れていない瞬間に死ぬのだと思う。それがずっと悔しくてやりきれない。死ぬ時くらいは底抜けに幸せなミュージックに包まれて死にたい。


そんなことを思いながらThe 1975が数日前に発表した新曲「Me & You Together Song」ばかり聴いている。少々破天荒な女の子に恋をした男の子のピュアなラブソングだ。すっかり心を奪われた彼は彼女とあたたかい家庭を持つことを想像したりして、まあその恋はそんなに上手くはいかなさそうなんだけど、とにかく彼女にずっと恋をしている、と言った内容の歌詞だと思う(英語は苦手なので間違っていたら恥ずかしいな…)。爽やかなUKギターロック。そして少しだけ懐かしい。行ったことのないはずの移動式遊園地の景色が目に浮かんでくるような。袖を通したことのないはずのセーターの着古した毛足の感触が肌を撫でるような。


何がいいってまず曲名がいいよね。ミーアンドユートゥギャザーソング。いつかわたしもミーアンドユーはトゥギャザーだって言いたい。わたしも!!!言いたい!!!!!なんか泣いちゃいそうだな。幸せについて考える時いつも、わたしは泣きそうになる。

はひとつの戦場にしか立てないのなら、自分はどの戦場に立つべきかを悩んだ一年だった。でも悩んだところでその戦場に立てるかすらも分からなかったり、意図せず激戦地に放り込まれたり、ベッドルームに手榴弾を投げ込まれたりしちゃって。ああ、何でこんなにも人生は戦いでしかないのでしょうね。わたしはただギターを弾いて朝まで歌い楽しく騒いで恋をしたいだけなのに。最早ギターを弾くのも歌うのも騒ぐのも、それぞれひとつの戦いで。恋が戦いであることは余りにも明白で。






大切な人を大切にしたいと思っている。愛してくれる人を愛したいと思っている。愛し尽くしたいと思っている。そのための戦いはもう始まっていることは分かっている。このままではいられないことも。そうやって気張ってばかりでは心身共に壊れてしまいそうなので、常時人に優しく適宜自分に甘く居たいと思っている。新しい年が始まりましたね。懸命に生きていたら美しい一年になるのは当然のこと。今年も宜しくお願い致します。










自殺肯定派の反出生主義者とグミ分け合って食べた

突っ立ってるより踊ってる方が楽なんだよね、ってこと、突っ立ってる時には大抵忘れていて、それを思い出す為に踊りに行くのかもしれない。DC/PRGのライヴに行った。会場は新宿歌舞伎町のライヴハウス。一年に一度、ここで彼等の演奏を見る。近くには映画館と歓楽街が、目の前には無駄な広場がある。そういえば夏にはここで寝転がってアイスを食べた。


ポリリズムと変拍子の波に飲まれて踊る三時間。リズムからリズムへと身体ごと乗り換える瞬間の高揚。ダンスの官能。踊るということは、傍観者ではいられないのです、ということの分かりやすい表明だと思う。踊るっていいよね。踊るの大好き。健康第一。


菊地成孔氏、「自分の神に背くな」って言ってた。嬉しくなっちゃった。そんな当たり前のこと言ってくれる人、わたしの周りにはあまりいないから。神対応してくれないわたしの神様。チョコばっか食べてるわたしの神様。電話予約が苦手なわたしの神様。神様は何も禁止なんかしてないっぽい。でも少し禁止されてるくらいが何事も楽しい。なんて言ってられるのも今のうちかな。十一月が終わる。本当のことしか言えなくなってしまうくらい寒くなれば良い。







名前と人生を与えられて十二年が経った。たったひとつ信じると決めた嘘を信じ続けて、守れたことを証明できない約束ばかり繰り返して、奇跡待ちの人生に嫌気が差してはばかみたいに歌って、這うように踊って、何にも慣れない、痛みは消えない、虚しさは増すばかり、でも何となくいい感じ。ウケんね。十一月二十七日、東京は曇り。そこからわたしが見えますか。