俳優の中村嘉葎雄(かつお)の兄は、日本映画の黄金時代を代表する大スター、中村錦之助(のちの萬屋錦之介)である。大スターである兄と自分との違い、反発した若いころについて中村が語る言葉を、映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづる連載『役者は言葉でてきている』からお届けする。
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松竹で映画デビューした中村嘉葎雄は1985年、東映に移籍する。東映は時代劇中心の京都、現代劇中心の大泉という二つの撮影所を擁しており、嘉葎雄が配属されたのは京都だった。そこでは既に、実兄の中村錦之助(後の萬屋錦之介)がトップスターとして人気を博していた。
「東映に移ったのは、ただ『行きなさい』と言われたからです。東映京都では衣装でも小道具でも、全て錦之助が決めてくる。便利は便利なんですが、段々と『これでいいのかな。自分で考えたい』と思うようになって。
それに撮影所に自分の友達も作りたいと思った。京都ではみんな錦之助の子分ですから。みんな彼のことを『若旦那』と呼ぶし、私のこともそのついでに『嘉葎雄さん』と。それが少し嫌だった。それで、大泉に移ることにしたんです。そこで初めて、友達ができた。助監督時代の降旗康男さんや佐藤純彌さん、澤井信一郎さんとか。
錦之助は偉大でした。兄弟というより、大先輩。三味線から踊りから、能、全ての稽古事をちゃんとやった人です。だから、何だってすぐにできる。それにはもう、敵わない。仕草がきちっと入っているんです。私には絶対にできないと思いました。ですから、頭が上がりません。
周りからは、よく『錦之助と似ている』と言われました。それが嫌で、似ないよう汚れ役を選んでいくようにしました。顔を汚くすれば分からなくなるんじゃないか、と思って」
それでも、両者はその後も映画やテレビ時代劇、舞台と、数多くの作品で共演してきた。