連載【落語に学ぶ住まいと街(4)】
落語好きの住宅ジャーナリストが、落語に出てくる江戸の暮らしを参考に、これからの住まい選びのヒントを見つけようという連載です。
江戸の庶民が住む裏長屋は、「裏店(うらだな)」ともいうことを前回(落語「たらちね」の裏長屋はワンルームマンション?)で説明したが、人通りの多い表通りに面した長屋は「表長屋」や「表店」といわれ、小商いの店舗兼住宅などが並ぶ。表店3~5軒ごとに表通りをそれぞれつなぐ細い路地があり、路地に沿って裏長屋が建つ。この路地は奥の表通りに抜けられる「抜け裏」もあったが、奥が突き当たりの抜けられない路地が多かったという。なお、店とは今の店舗のことではなく、借家のことをいう。
粗忽の釘の八つぁんは、壁に瓦釘(屋根瓦がすべり落ちるのを防ぐために打つ釘)の長いもの、落語家によって八寸とか一尺もあるという言い方をしているので、24~30cmもあるような長い釘を壁に打ち込んでしまったことになる。棟続きの長屋は壁も薄いので、隣家に釘先が出るわけだ。
裏長屋の住まいが、ワンルームであることは前回説明したが、水場である井戸、雪隠(せっちん)または総後架(そうごうか)と呼ばれる便所、ゴミ箱などは共同で使用した。また、路地の真ん中には板で蓋をしたどぶ(排水溝)が通っていた。路地の幅はたかだか3~4尺、1m程度というから、今の住宅の廊下幅並みの距離なので、さすがに向かいの家までは長い釘も届かない。
ちなみに、この落語のサゲは、私がよく聴く柳家喬太郎師匠では「毎日あそこまで、箒を掛けに来なけりゃならねぇ」ですが、立川志の輔師匠監修の「古典落語100席」では、「お宅じゃここへ箒を掛けますか」となっており、元の噺の上方「宿替え」では、さらに続いて前の家に親を忘れてきたことを思い出し、「親ぐらいどうともおまへん。酒飲んだら我を忘れます」というサゲになるそうだ。
狭い住まいでプライバシーはないし、気を使いながら共同の井戸や便所を使用するなど、現代人には暮らしづらそうに見えるかもしれない。しかし江戸時代は、長屋の連帯意識が強かった。井戸では、洗面から食事の支度、洗濯などをするので、おかみさんたちの社交の場だった。また、落語によく出てくる町内の床屋や湯屋は、男たちが集まって情報交換をする社交の場だった。
つまり、家事をしたりくつろいだりする場は、住まいの中でなく屋外や町内の共同施設にあったので、住まいは作業をしたり寝たりする居室でよかったのだ。したがって長屋は、簡素な集合住宅というより、現代のシェアハウスに近い住居形態といってよいだろう。一定のルールを設け、互いを尊重しながら連帯し合って生活をする居住空間、それが江戸時代の長屋だったのだ