先日紹介した石川県穴水町の移住セミナーに参加して(https://suumo.jp/journal/2014/09/18/69562/)移住にさらに興味を持った筆者(編集部K)。実際に移住した方のお話を聞きに能登半島にある人口約9000人の町、穴水町に取材に行ってきました。住まいや暮らし、そして気になる移住先での仕事について紹介します。
今回お話を伺ったのは、中川生馬さん(35歳)、結花子さん(32歳)、結生(ゆい)ちゃん(1歳1カ月)ご家族。首都圏から穴水町岩車地区に移住して1年半、毎月の家賃が5000円という平屋一戸建ての賃貸物件に住んでいます。
この物件、約10年近く空き家で「家を丸洗いした」と結花子さんが表現するように、はじめは人が住める状態ではなかったそう。掃除・内屋根の補修、腐った天井も近所の方の協力のもと自分たちで張り替え。生活用水をひく井戸もすべてきれいにして、住める状態にするまで約1カ月半かかりました。
キッチンを含めると6部屋ある家の中には、ソファや立派なダイニングテーブル、中川さんの仕事場までありますが、自分たちで買ったものはソファひとつと扇風機だけ。あとはすべて前の家で使っていたものか、近所、友人、家族が不要としたものなどのいわゆる廃材をもらったそう。
「手入れする前はゴキブリやネズミの糞もすごくて。妊娠中だったのもあってだいぶ参ってましたけど、いまでは少し家を離れたあとに帰ると『やっぱりここが一番落ち着くね~』と言っています(笑)」と結花子さんが言うのも納得できるくらい居心地のいい空間でした。とはいえ、トイレはリフォームせず汲み取り式のまま。完璧にしようと思うとキリがないのでどこかで妥協は必要なのだそうです。
そんなお宅に暮らす中川さん一家は、近所の方の畑を少し手伝いつくった野菜、穴水の海でとれた魚、近所の山でとれた山菜、能登島にある民宿の湧水を汲んで飲用水にしていたりと、能登の食や自然に寄り添って暮らしています。
「僕はもともと環境や食に関心があって、その観点で移住先を探していました。能登は野菜も魚も地物が多くて、食のバランスもすごくいいし食文化も豊か。
今は食の安全も不安なことが多いし、『3.11』のときもスーパーからものがなくなって大変なことになりましたよね。そういったときにも自分たちの食べる分は自分たちで確保できる(つくる)ようにしていきたいというのもありました」(中川さん)
「都会にいるとスーパーに行けば1年中野菜があるから、夏野菜や冬野菜の区別もつかなかった。こっちにきて畑をやって、その野菜がどうやってなっているのかや、旬をちゃんと知った。
子どもが成人したときに、なにがあってもひとりで生きていける、困らない、そういう子になってほしい。そんな子育てがしやすいのが、ここに暮らしている一番のメリットだと思っています」(結花子さん)
土地のものを食べて、生きる力を養う。それが中川さん一家のライフスタイルです。
中川さんは移住前、東京の大手企業で広報としてご活躍されていて、俗にいう”リア充”だったそうです。そんな生活をしていながら、なぜ移住を考えたのでしょうか。
「東京での仕事はすごく充実していて不満もありませんでした。バリバリ働いて、夜は会食などへ…。それはそれで楽しかったのですが『ずっとこういう風に会社中心の生活で人生が終わっていくのかな…』と以前から漠然とライフスタイルについて疑問を持っていました。
会社員時代から”自給自足”というイメージのある田舎暮らしに興味があって、有休を使ってあちこち田舎に行ってみても日数が限られて、そこがどんな土地なのかまでは分からない。それでまず東京を離れようと思って、独立するためにはまだスキルが足りない等の不安はありました。しかし、そう”頭で考えている”だけでは仕方がない…と思い切って会社生活を離れ、一歩踏み出すことにしました」(中川さん)
そして自分の目で見て移住先を決めるために、結花子さんとふたりで約2年かけて全国の田舎を中心にバックパッカー旅をしたそう(!)。旅行中に穴水町の移住体験施設(※)に滞在したこともあり、そのときの体験も後押しとなって移住先を穴水町の中でも”山と海が近い”岩車地区に決めたんだとか。
そんな中川さんの決断に対して結花子さんは不安にならなかったのでしょうか?
「そのとき私は26歳で美容業界で働いていました。当時の生活に疑問を持ったり考えたりしたことはなかったので、彼に『会社生活に疑問を抱いている』と打ち明けられても『どういうことだ?』と理解ができませんでした(笑)。
ですが、私にも変身願望みたいなものもあって、バックパッカーもテント泊もやったことがないけど、そんな人生も楽しいかなと思って受け入れました。だけど周りの友達からは心配されたり反対されたりして、その度に不安になって落ち込んだり、彼になだめられて『よし、大丈夫!』と思ったりの繰り返しでしたね」(結花子さん)
※穴水町には町が運営する移住希望者向けの「お試し滞在住宅」があり、1週間以内の期間で体験入居することができます
会社時代やバックパッカー旅での出会いから、いまはフリーランスでベンチャー企業の広報、能登移住後約1年は『いろどり』で有名な徳島県上勝町(https://suumo.jp/journal/2013/12/18/56330/)で地域活性イベントの仕事、能登の地元の人たちと連携した「田舎ライフスタイル体験」の企画・運用や、旅雑誌への執筆などさまざまなお仕事をされているそうです。
「東京で得たスキルがいますごく役に立っているので、東京時代がなければ今はない。持っているスキルを積極的かつ”自信をもって”フル活用することが田舎でのライフスタイルのポイントじゃないかなと思います。
今はネットが田舎にもあります。そして、”使い捨て”製品があるぐらい、”モノ”があふれ、便利な世の中になってきています。自分のように東京時代がなくても、次世代は、発想力や創造力、あふれた”モノ”・ “ネット” など”現代の技術”をうまく利活用すれば、田舎でも十分やっていける可能性があるのではないかとも思います」(中川さん)
「近所の人に玄関で野菜をおすそ分けしてもらった10分後やじゃがいも畑から戻ると、ネットを介してテレビ会議をしていたりするので、そのギャップがなんだか不思議ですよね」(結花子さん)
確かに、そういうことができるのもネットが発達した現代だからこそ。「ネットがあることによって直接会わなくてもリアルタイムでコミュニケーションが取れる。ネットがあるから移住がしやすくなっているというのはあると思います」(中川さん)とのことでした。
もうひとつ筆者が気になっていたのは、移住したことによって仕事とプライベートのバランスは変わったのかということ。
「変わりました。会社に拘束されるという仕事のスタイルではなくなったので時間の使い方は劇的に変化しましたが、畑仕事などで前よりも忙しいです。でもいまの仕事は直に自分の生活に降りかかってくるし、会社員時代とは違った忙しさなのでそれはそれで楽しんでいます。
自然は豊かだし、心癒やされる環境が日々の生活にあります。家族との時間も普段から十分にとれるなど…。これまでの“固定観念”にとらわれずに、暮らし方の“変化”にどれだけ自分や家族が柔軟に対応できるのかも重要だと思います」(中川さん)
今回の滞在で、海が一望できる別荘地である椿崎地区の移住者交流会に参加させていただいたのですが、そこでお話を伺った区長の尾戸さんをはじめとする移住者のみなさんも、「畑仕事は忙しいけど苦ではない」「忙しいけど、心にゆとりのある生活ができている」と言っていたのがとても印象的でした。
“自給自足でのんびり過ごしたい”と田舎暮らしに憧れる人も多いと思いますが(例にもれず筆者も)、実際には”のんびり”とまではいかず、けっこう忙しいようです。ただ、最近よく言われるようになった『ワークライフバランス』という観点は田舎暮らしでは意識しなくても調和されやすいのかもしれません。
妻の結花子さんが「ちょっと変わった人」というように、移住先探しのバックパッカー旅をしてしまう中川さんは少し特別な人だと思う方もいるかもしれません。ですが移住のきっかけは都市で働く誰もが思うようなことですし、それまでのスキルを活かして今のお仕事もされています。なによりもインターネットの発達が移住のハードルを下げているのは間違いなさそうです。
移住に際しての大きな心配ごとのひとつに『仕事』がありますが、”スキルとインターネットを活用して仕事をし、自分に合った土地に暮らす”というのはこれからのスタンダードになりえるライフスタイルではないでしょうか。
次回は移住に興味を持っている筆者が今回の取材を通して分かったこと、感じたことについて紹介します。