住まいの雑学
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2013年7月1日 (月)

7月1日は東京都政記念日。東京都には昔、35区もあったってホント?

意外と短い東京都の歴史。大都会になるまでにはさまざまなドラマがあったようです(写真: iStockphoto / thinkstock)
写真: iStockphoto / thinkstock

7月1日は「東京都政記念日」。1943年のこの日、初めて「東京都」が誕生したことにちなんだ記念日だ。

東京都の歴史は70年と意外と短く、それまでは「東京府」「東京市」などの区分だったという。では、東京都に至るまでの変遷はどのようなものだったのだろうか? 江戸東京博物館の担当者に、お話を伺った。

「23区の原形となる区が初めて東京に設置されたのは、明治11年(1878)のこと。現在の千代田区、中央区、港区、新宿区など、東寄りの地域に、15区が置かれたのが始まりです。このころ、区外の地域はほとんどが農村地帯で、6つの郡から成っていました。この15区6郡は、現在の23区の範囲とほぼ同じです。さらに明治22年(1889)、15区を統括する『東京市』ができました」

明治時代中ごろには、東京府とその下の東京市という構図が出来上がっていたようだ。

「明治後半から大正にかけ、東京市外の地域にも多くの人が住むようになりました。鉄道の開通が相次いだことが、その理由のひとつに挙げられます。さらに、大正12年(1923)には関東大震災があり、被害の大きかった東京市部を避けて郊外に移り住む人も増えたようです。このような東京市郊外の人口増・都市化が進んだことにより、それまで郡だったエリアも東京市に編入しようという動きが出てきました。東京府下の郡が改編されて新たに20区が設置され、それまでの15区と合わせて35区体制の『大東京市』が生まれたのは昭和7年(1932)のことです」

繁華街エリアも、今とは様相が違っていたようだ。例えば、江戸から明治にかけて、繁華街は銀座や浅草など、東の方に集中しており、それ以外の地域はほぼ農村地帯だったのだ。現在の品川区・大田区・港区などの山の手エリアは、江戸時代には藩邸が並ぶお屋敷町で、明治以降も住宅地として開発が進んだ。また、地方から出てきたサラリーマンが居住者になってできた盛り場が、神楽坂や麻布十番の辺りだともいわれている。

「東京都が誕生したのは、第二次世界大戦下のことです。戦時体制の強化のために、東京府と東京市を廃し、『東京都』が設置されました。このときにはまだ35区制でしたが、戦後、23区に再編成されました。その理由は大きく2つあります。まず、戦災によって各区の人口が大きく減ってしまい、損害状況も区ごとに大きく差があったため。それから、地方制度が改正されて自治権が拡充されたため、各区の区制の基盤を強固にする必要があったからです」

日本の首都「東京」にはさまざまなドラマが隠れている。ときには、そんな在りし日の東京の姿に思いを馳せるのもいいかもしれない。

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