「ひげじい、ありがとう」 見守り27年 仲里さんにお別れ


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仲里博市さんを乗せた霊きゅう車を、手を合わせて見送る中の町小学校の児童ら=8日、沖縄市上地の同校(写真の一部を加工しています)

 【沖縄】沖縄市立中の町小学校の児童や地域住民ら約150人は8日、不慮の事故で5日に亡くなった沖縄市の仲里博市さん(享年75)の出棺を見送った。仲里さんは1990年から27年にわたり、校門前で登下校する児童と幼稚園児を見守る「あいさつ運動」を毎日続けてきた。ひげをたくわえた風貌から「ひげじい」との愛称で親しまれ、エイサー指導や古紙回収など多くの地域貢献活動に取り組んだ仲里さん。参列者は「まだ信じられない」「あの大きな声が聞こえなくなる」と最後の別れを惜しんだ。

 8日正午すぎ、中の町小の校門前に地域住民や卒業生たちが集まってきた。喪服の人もいる。児童も続々と校舎から出てきて、約40メートルにわたり歩道を埋めた。午後0時23分、仲里さんを乗せた霊きゅう車がクラクションを鳴らしながら通過すると、目をつぶり、手を合わせた。参列者からはすすり泣く声も。「長い間ありがとう」。感謝を込め、安らかな眠りを祈った。

 見送りの発案者は、校舎の改修で出入りする作業車を誘導する警備会社の喜納金栄さん(47)。1年半前に配属され、仲里さんの活動を見て「ここまでやる人がいるんだ」と驚いた。「危ないから道路を横切るな」「ここに車を止めるな」。児童や親に関係なく、大声で堂々と叱る仲里さんに魅了され、一緒にあいさつ運動を始めた。

登校する児童を校門前で迎える仲里博市さん=2007年12月、沖縄市上地

 喜納さんが仲里さんの急逝を知ったのは6日のこと。「お世話になったみんなで見送りたい」との気持ちが芽生え、7日に家族へ「学校の前を通ってほしい」と言うと快諾し、火葬場へのルートを変更してくれた。三男の隆さん(32)は「父は自分が小学生のころから校門前に立っていた」と振り返る。

 同校6年の久高卓巳君(11)は「いつも『おはよう』とあいさつし、エイサーも一緒に踊った。まだいる気がする」と信じられない様子。徳村直美校長は「児童の心強い応援団だった」と敬意を表した。

 古紙回収で得た収益金で学校に楽器を寄贈したり、地域の消防団長を務めたりした。市や警察署から表彰を受けた回数も数知れない。学校の近所で珠算教室を営みながら、雨の日も風の日も、校門前に立った。

 20年来の付き合いという同小PTA事務局の柳原すえ子さん(54)は仲里さんが生前、よく口にしていた言葉が忘れられない。「私はいつも子どもたちから元気をもらっている。ここにいることが、自分の幸せなんだ」
(長嶺真輝)