NHK大河ドラマ『真田丸』の影響もあって、戦国武将に注目が集まっている。では彼らが身にまとう「甲冑」はどのように変遷していったのか。四国大学文学部日本文学科准教授の須藤茂樹氏が解説する。
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1467(応仁元)年の応仁の乱以降、従軍する武士の数は増えていき、合戦は激化していった。それとともに、甲冑は全身を完全に防備する形へ進化した。
こうした流れを革新的に変えたのが織田信長だった。奇異とも映る南蛮渡来の洋装を好み、自らが身につける具足にも取り入れた。加えて、当時最新鋭の武器である鉄砲に対抗し得る強靭な甲冑を求めた。ファッション性と戦略的な実用性を兼ね備えた鎧兜で合戦に繰り出したのだ。
信長亡き後、豊臣秀吉の時代になると、よりファッション性が高まる。黄金好きな秀吉は金銀を施した派手な甲冑を好み、それを見た武将たちは自己表現の手段として次々と真似た。個性豊かな甲冑を誕生させたのである。
信長や秀吉が派手だったのに対して、家康の時代になると甲冑はシンプルになった。質実剛健な家康の性格を表わすように、実用性に富んだ甲冑が多く作られた。
以後、続く天下泰平の世で甲冑は、各地の藩主だけが作ることのできる特別な存在となった。身を守るという本来の役割から、権威を誇るための象徴となったのである。
※週刊ポスト2016年3月25日・4月1日号